私を変えたひとことは「名前だけはかわいい」だ。

みなさんがもしこのことばを不意に投げかけられた時、どんな反応をするだろう。冗談で終わらせるために、「またまた~」とか言って愛想良くかわすだろうか、それとも、その相手に怒りを直接伝えるだろうか。

しばらくその言葉の衝撃が頭の中をぐるぐると駆け回っていた

私はそのどちらでもなく、ただ黙る。だった。私はそもそも、リアクションが大きい方ではなく、人見知りもあり、ましてや、傷つくことを言われて、「またまた~、やめてくださいよ~!」のように愛想良く上手にかわせるようなタイプではない。そして、その相手が私の父くらい年上で、バイト先の人ならなおさらだった。

もっと世渡りの術を身につけていれば良かったものの、その時は、私の人見知りの部分、これ以上傷つきたくない!という自己防衛心、その他もろもろが最大限に発揮され、ただ黙るという手法をとったのだ。そのときの私の心情を正直に書くと、(え…?この人今なんていった…?いや…さすがに人に向かって言う言葉じゃないし、冗談で言ってる?笑)というような感じだろう。そんなことを考えながらも、しばらくその言葉の衝撃が頭の中をぐるぐると駆け回っていて、平然を装いながらも放心状態だったと思う。

自分の努力は報われていないのだ、と突きつけられた気がした

正直なところ、今になってもこの人が何をもって「名前だけはかわいい」と言ったのかは分からない。容姿のことだったのかもしれないし、私の人格的なこと、その両方、それとも、もしかしたら、もっと違う何かについて言ったのかも。

でも、しばらくして家に帰り、一人になった時、「あー、私ってやっぱりこういうこと言われるくらいには顔が可愛くないのかぁ…」と考え込み、「あの時のあの人の態度、あの言葉、やっぱり私が可愛くないからだよな」「私の恋愛が上手くいかないのも絶対この容姿のせいだよなぁ」と昔の事まで掘り下げて自分の容姿をとことん否定して落ち込んだ。
私は中学生の頃から容姿に対してコンプレックスを持っていて、そこから抜け出すための努力もしていたつもりだった。だから、この言葉によって、自分の努力は報われていないのだ、と突きつけられた気がして余計に悲しかった。

その時、色んな人にアンケートをとって、私がかわいいのは名前だけですか?と調査をして回って、統計をとって多数派の意見を知りたい気分だった。世の中の多数派の意見は、この言葉を言ってきた人と同じ意見なのかが知りたくてたまらなかった。あわよくば、そんなことない。という誰かの意見を求めていた。

かわいいなんて言葉では表せないくらい、私は私らしい

でも、びっくりするくらい落ちこんで、とことん落ち込んだおかげで、今、気がついたことがある。それは、自分は名前「だけ」でなく、もっと色んな魅力があるということだ。

きっと名前以外にもかわいいところは沢山あるし、それは容姿だけでなく、私を構成している色々な部分に溢れていると思う。しかも、かわいいなんて言葉では表せないくらい、私は私らしい。と今は思えるようになった。

この言葉でたくさん傷ついたけど、その分自分と向き合うきっかけになって、前よりも自分を知ることができて、人の気持ちをもっと考えられる優しい人に成長できたと思う。

また同じような状況になった時、前のように黙ってしまうかもしれない。でも、少なくとも、自分が自分を一番愛さなければならないということと自分らしさに気づいた今は、前のように自分を責めることは無いだろう。
もしこの時の自分に会えるなら、この言葉が世の中の多数派かどうかではなく、「自分が自分の好きな自分」であるのかどうかが大切なのだ!と言ってあげたい。