世の中には、要領が悪くて、見ている人をイライラさせてしまう人間がいる。
「使えないよね」「仕事できないよね」、そう言われている人のことである。
アルバイトをしたならば、その人はきっとこんな感じ。仕事のマニュアルがなかなか頭に入らない。注意を受けても一度では理解出来ない。何度も注意を受ける。叱られる。焦れば焦るほど行動が空回りする。やる気も熱意もある。けれど、「頑張りたい」と思う心は、周りの容赦ない叱責や冷たい目線によって次第に凍り付いていく。
しまいにはこう思うかもしれない。「消えてしまいたい」。どうして自分はこんなにも役立たずなのだろう。
とにかく優しい彼女が大好き。人の気持ちが痛いほどわかる
ある日の午後、友人と渋谷で落ち合った。
彼女のことを少し紹介させてほしい。その友人は少しだけ、「普通」とは違っている。表情はいつも少し嬉しそうな、でも困ったような感じ。落ち着きがなくて、突拍子もない行動をとる。小学生レベルの漢字しか読み書きが出来ない。昨日なにをしたか聞いてもおぼろげにしか思い出せない。12-9の答えがなかなか出せない。小学三年生の妹には、バカにされることもしばしば。クラスメイトはそんな彼女を見て、驚き、呆れ、距離をおいた。
でも、誰が何と言っても、私はそんな彼女が大好きだ。彼女はとにかく優しいのだ。
誰かが叱られたり、ミスをしたりするとすぐにフォローに入る。「その人の気持ちは痛いほどわかる」からつらそうな人を見ていると、胸が苦しくなるという。彼女は、あなたの周りにいるであろう、要領が悪くて、仕事が出来ないあの人の一番の理解者で、かつ味方になれるだろう。人の痛みが分かる人がこの社会に増えていけば、この社会は優しくてあたたかい場所になる。そんなこと、誰でも知ってるかもしれないけれども。
理解者の保護下でなければ、この社会から排除されてしまうかも
だが、現実はどうだろう。
彼女はしばらく学校に通えなかった。学校には居場所がなく、馬鹿にされるから、高校も本当は行きたくないと言う。「学校に行かないときは何してるの?趣味は?」と聞くと、寝ることと即答された。「なにも考えなくていいから楽なの」。彼女は、理解者の保護下でなければ、「なにもできない役立たず」というレッテルを貼られ、この社会から排除されてしまうかもしれない。
この文章を書く私は、どちらかと言えば、要領が悪くてトロくて、見ている人をイライラさせてしまう人間だ。冒頭のバイトの例は、私の経験。
彼女は自己嫌悪に陥ったりしないんだろうか。渋谷のスクランブル交差点を足早に過ぎながら、さりげない感じを装って尋ねた。
「自分のことは好き?」
「え?好きだよ」と私の質問に驚きながら、余裕の笑顔で返してきた。夕陽に照らされた彼女の笑顔が眩しくて直視するのをためらった。
「だって、私という人間は世界に一人なんでしょ?それなら、他の人みたいに器用に物事をこなす必要はないかなって。これは私の個性だし、普通よりは全然好き」
この社会と私たちは、人の痛みが分かる人間の優しさに飢えている
彼女のこの言葉が、帰宅して一息ついて布団に入った今も頭から離れない。きっと明日も明後日も、この言葉は鮮やかな光を放って私の心を照らし続けてくれる。
私は、彼女がいつまでも、堂々と胸を張って、同じ言葉を言い続けられる社会を作りたい。なぜなら、この社会と私たちは、彼女のような人の痛みが分かる人間が与えてくれる優しさに飢えているから。少なくとも私は、「あなた本当に進学校の生徒?こんな数字〇〇高校の生徒が書くなんて信じられない。もうあっち行ってて」とバイトでミスをした私に、ナイフのような言葉を突き付けた地元の有名な某企業の社長よりも、12-9に戸惑う彼女が職場に欲しい。
P.S. これは私が高校生の時に思い立って書いた文章です。4月から私は社会人になります。職場で、「あの人は使えない」などと他人を見下げないことは勿論、「使えない」などと言われて自己否定しないように、自分への戒めのために、投稿させていただきました。