生理は私たちの一生を左右するのに、情報や選択肢はあまりにも少ない

その行動はまるで、何者かに銃で下腹部を狙撃され、血を垂れ流しながらも病院には行けず、寝るか座るかの体勢で傷跡をさすり激痛に耐え、やっとの思いで生きているようだ。

そんな苦しみに、毎年14日間も耐えなければならない義務とは。女性器を持つ人間として生まれたからには、”一生我慢しなければならない当然の苦しみ” なのか。当事者のセルフケア以外にも、医療の立場から、苦しみの改善や処置をする方法は無いのだろうか。信憑性のない様々な根拠に振り回され、痛みを軽減させる薬剤を体に投与していくことしか、方法は無いのか。そうだとすれば、なんと絶望の伴う人生なのだろう。何度この子宮を、恨んだことだろう。私たちに与えられた情報や選択肢は、あまりにも少ない。生理は、私たちの一生を左右するのに。

これは病気だ。何故なら、私は尋常でない苦しみを味わっている。1年間のうち14日間は、生きるのが苦しい。女性器を持つ人のみが伴う身体作用-生理であり、男性器のみを持つ人間には伴わない。生理を体験する人間の中でも、苦しむ人間と苦しまない人間とがいる。苦しむ体験のない人間にとっては、どんな痛みで置き換えようとも、身をもってその苦しみを体験する機会は、永久に無い。人類において、その苦しみを持つ者と持たざる者とで、分かれている。

女性器を持つ多くの人間に共通するこの苦しみ、それを持たない人々は、なぜか「そんな苦しみは存在しない」という扱いをする。当事者でない人々が、どうしてその痛みについて語れるのだろう。当事者として理解はできなくても、苦しむ人が、確かに、そこに存在しているのが事実だ。

今の社会で持たざる者にとっては、”生理痛は未知なるもの”、として扱われている。

だから、目の前に生理痛で苦しむ人がいても、苦しみを持たない人にとっては、”理解不能に伴っている身体作用”という認識であり、どのような症状や苦しみが伴うのかわからない。だから、助けることさえ出来ない。そして彼らは、自分たちがこの生理によって生まれたということさえ、知らない。

理解し、優しく配慮はできる。たとえその苦しみを共有していなくても

尿路結石という病気を持つ人が、目の前で苦しそうにしゃがみこんでいたとする。この病気は人間である以上、誰でも当事者になり得る。私も、どのような症状や苦しみに悩まされるのかと、調べたことがある。尿道に石が溜まり、激しい痛みを伴う病気であるそうだ。その人はとにかくお腹が痛いのだと分かれば、その人に対して理解を示し優しく配慮することができる。たとえ、その苦しみを共有していなくても。

それは生理痛にも、同じことが言えるのではないか?

当事者になれなくても、そこには確かに、生理痛に苦しむ人が、存在している。永遠にその痛みを味わえなくても、手を差し伸べる配慮は出来る。

少なくとも、尿路結石の症状に苦しむ人に対して、「そんな痛み我慢しろ」「甘えるな、尿路結石の人は皆苦しんでる」とは言えないはずだ。

ところがこれを生理の症状に変えると、当然のようにこのセリフを発する人がいる。

女性器を持つ人間には、子孫を残すための身体作用として、必ず生理という現象が始まる。そしてその中から更に、生理痛という名の苦しみを体験する者としない者とで分かれる。その苦しみの程度も、人により様々である。そして生理を体験する人間の半数以上が、生理痛に苦しんでいるのだ。つまりこれは、地球に暮らす半数以上もの女性器を持つ人々が、”身体の自然作用”として、確実に苦しまざるを得ないということである。

全ての生理痛を病気とは呼ばないが、月経困難症という病気が隠れている可能性も多くある。多くの女性は、生理痛に苦しんでいる。そしてその苦しみを知り、配慮することの出来ない日本人という現状がある。更に、生理への無理解を示す人々によって作られた「病気ではないので耐えろ」という空気が世の中に蔓延していくことにより、子宮に関わる病気の早期発見に至る受診をまでも、遅らせているのである。

なぜ女性だけに。どんな体験や苦しみか。子どものうちから学ぶべきだ

1年間のうち14日間を、自由に動けるのと動けないのとでは、人生は大きく違ってくる。人により、動けない日数は更に多かったりもするだろう。

生理痛は、尿路結石や肺ガンと同じような誰に訪れるか分からないような”病気”では無い。女性器を持つ半数以上の者は、現状体験せざるを得ない苦しみなのだ。病気ではないからこそ、その”苦しみを供わなければならない苦しみ”を、知る必要がある。そして、その苦しみへ配慮のできる環境こそが、持続性ある社会だ。

生理痛に対する理解を示し配慮することの出来る社会に変えていくために、学校の性教育の現場において、”生理とは何か” を幼少期のうちからしっかりと学ぶ必要がある。
どうして女性器を持つ人間にのみ生理は訪れるのか、どのような体験をするのか、どのような症状に苦しむ人々がいるのか。すべての子供たちが、これについて知るべきである。
女性器を持つ人間と男性器を持つ人間とが共存していく上で、生理については誰もが当然、学ばなければならないことの一つではあるまいか。
すべての人間は、生理なくしてこの世に存在などしていないのだから。女性器に伴う生理があって、あなたは今ここにいる。息をしている。
生理への理解を、早急に深めさせる教育の必然性を、ここに感じる。