結婚は一般的に幸せなイベントだ。少なくとも現代の日本において、結婚を目前にした人の多くは幸せな気持ちでいるだろう。

御多分に洩れず、私もその一人だ。
私には今、結婚を約束している相手がいる。優しくて心根のまっすぐな、とても素敵な人だ。
彼と過ごす毎日はささやかな喜びに満ちていて、こんな人と結婚できる私は幸せだと心から思う。

幸せなのに心の引っかかり。姉の結婚までの過程が後ろ髪を引く

でも私の胸の中には、少しの靄がかかっている。原因は、自分の家庭の問題だ。
私の父親はモラハラとサイコパスを足して2で割って10倍したような人間で、母と姉、そして私の人生を大いに狂わせてきた。
常に誰かが怒ったり泣いたり嘆いたりしている、それが我が家の日常だった。

だから姉が結婚式に父親を呼ばないと言ったのも、私と母からすれば無理もない話だった。
父親は海外にいて簡単に帰国できない(これはほぼ事実だ)という理由で、姉は父親抜きで顔合わせを決行し、入籍まではスムーズに進んだ。

しかしいざ結婚式という話になると、相手家族が父を式に呼んでほしいと言い出した。
当然のことだ。死別も離婚もしていないのに(離婚に関しては、離婚話すらまともにできないからなのだが)、父親が娘の一世一代の結婚式に来ないなんて話は、普通あるはずがない。

やむなく母は、「婚家の顔を立てた方が良い」と姉を説得しにかかったが、姉は頑として受け入れず、大喧嘩になった。
姉は母を拒絶し、ドレス選びにも式場の試食会にも一切母を呼ばなかった。結局姉が先方を説得して父親は呼ばないことになったのだが、その間の我が家の空気は幸せとはほど遠いものだった。

家庭と本人の切り離し。その軸で結婚を祝してほしい

私はぞっとした。結婚すれば、今までの不幸から逃れて幸せになれると思っていた。でも実際は、結婚するにも家庭の問題は付きまとうのだ。

花嫁と腕を組んでバージンロードを歩く父親。家族に感謝の気持ちを込めて手紙を読む花嫁。それを聞いて涙する家族。このご時世に新婦側だけが親元を巣立つかのような演出はいかがなのかという議論はさておき、これらは全て結婚式の定番の感動シーンだ。でもそのどれもが、私とは無縁のものなのだ。

私も父親は結婚式に呼びたくないし、結婚の報告すらしたくない。
幸いパートナーの家族は私の思いに理解があるが、事情をよく知らない彼の親戚や友人、職場の人が父の不在を目にしたらどう思うだろうか。問題のある家の娘との結婚だと、私たちの結婚にケチがついてしまいはしないだろうか。

家庭の問題が明るみにならないように結婚式をやらない、もしくはごく少人数で行う、という手もあるかもしれない。
でも、育った家庭に問題があるからといって、コソコソ結婚式を挙げるなんて悲しすぎる。

そもそも結婚式がどうにかなったとしても、どこかで我が家の問題が知れたら、多くの人が「訳ありの嫁」だと思うだろう。
そしてきっと私は結婚後も、自分の生い立ちに引け目を感じて、どこかで「こんな自分と結婚してもらった」「結婚を許してもらった」と感じ続けなければならない。

私は恵まれない環境に負けずに、懸命に、真っ当に生きてきたつもりだ。
それでもやはり、結局幸せな家庭に育った人間にしか、幸せな結婚はできないのだろうか。
多くの人にとって人生最高レベルの幸せイベントである結婚でさえ、ただ幸せには迎えることができないという事実に、自分の不幸が集約されているような気がする。

でも私はきっと、まだましな方だ。家庭環境が理由で相手家族から反対を受けたりして、結婚自体できない人もいるだろう。
「結婚は家同士のもの」という考えは昔に比べれば弱まってはきているが、今もなお根強く残っている。

人間の人格や価値観が、家庭環境に大きく影響されるのは事実だ。でもそれは、必ずしも悪い方向だけにとは限らない。

生まれた家庭に恵まれなかった人間にとって結婚は、心から一緒にいたいと思える人と家族になって新しい人生を歩み始めることのできる貴重なチャンスであり、希望だ。
家と本人とを切り離して、懸命に生きてきた人達の結婚を心から祝福する世の中になるようにと、当事者の一人として願わずにはいられない。