小学校を卒業してすぐ女子校に進学した私は良くできた子供で、塾にも行かずに受験まで終えた。さらに学校が終わるとピアノのお稽古に行くので部活もせず、19歳になるまで〝お父さんと学校の先生以外の男性〟と接触しないままの生活を送ってきた。

そんな空間から放たれた私にとって、男性は好奇心や興味の対象である以前に恐怖の存在だった。ただただ単純に背が高くて、筋肉質で、声が大きくて、汗臭くて…ちょうど恐竜やライオンを見るような感覚なのだ。それぐらい違和感があった。

もちろん見た目だけではない。私がごくゆっくりと成長している間に、彼らはきっといろんなことを経験したんだろう。夏の花火大会も、文化祭も、消しゴムを借りたりするドキドキも、キスもセックスも…。

恋愛のスキルを未履修な私は、一歩踏み出すことができなかった

彼らの横にいる女性たちは、私と同い年のはずなのに私とは全然違う生き物に見えた。
平気で彼らの肩を叩き、顔を寄せ、腕を組んで、不用心にもお酒を飲んで意識を飛ばしたりする。こんな大きな生き物に何かされたらひとたまりもないのに。彼女たちは彼らと戦うスキルを既に身につけているのだろうか?

そう思ったら急に、自分がひどく遅れているような気がして怖くなった。
目が慣れてくれば大きくて怖い男性たちの中にも顔が好みだったり、優しかったりする人がいないわけではなかったけれど、あらゆるスキルを未履修の自分がうっかりと近づいて、失望されたらどうしよう?そう思うと一歩踏み出すことなど到底できそうになかった。

なんとかできそうな男性たちを初期設定からカスタムしていく恋愛

私は群れの中に同じようにカタカタと震えている生き物がいないかくまなく探した。
そうして見つけたのだった。経験値が自分と変わらない臆病そうな男性。見た目は大きくて怖い男性たちや、優しくて好みだけれどとても自分の手には届かなさそうな男性たちと、それほど変わりはしなかったけれど、確実におどおどしていて、私でも“なんとかできそう”だった。

それから何年も何人も、私はそういう、カタカタと震えている臆病そうな男性たちを見つけてはアプローチした。だんだんと私の経験値は上がっていくので、次第に私は他の女性たちに紛れていくようになった。
けれどどうしても、“なんとかできそう”な男性たちを初期設定からカスタムしていく恋愛以外、怖くてできなかった。彼らは何も知らないのだから私が最初のルールになるはず。私が怖くなったらそこで止められる。その安心感が私を縛り続けた。

私にも大誤算があった。“なんとかできそう”な男性たちは、テレビドラマで見るように初めての女性を女神のように思って一生忠誠を誓ってくれるわけではない。これを契機に弾みをつけて私の元を卒業していく。
自分にも憧れる男性がいなかったわけではなく、単に怖くて、“なんとかできそう”な男性たちをしきりとカスタムしていたのだからタチが悪い。卒業されてしまった後の心の虚無感たるや、絶望なんて言葉では到底表現できない。

男をカスタムしようとするな、既製品のイケメンの列に並べ

そんな時に友人に言われた言葉がこれだった。

「男をカスタムしようとするな、既製品のイケメンの列に並べ。与えてくれる幸せに怯えるな。人をコントロールする方がよっぽど怖い。それにイケメンにだって心の折れるときはある。お前が必要な時も必ずある。そんな時はただそばにいればそれだけでいいんだ」

私はどこか結局、自信がなかったのだ。
10代の頃に大きな生き物である男性たちが怖かったのは確かにそうだけれど、その後にもずっと男性のカスタムを続けた理由は、本当に陳腐だけれど自分が嫌いだったから。自分に自信がなかったから。与えてくれる幸せとやらに手放しに喜べない。私なんかが愛されるわけがない。なぜかそんなふうに思っていた。
おそらくだけれど、あの頃ショックだったのは男性たちを見たからではなく、自分と同い年のはずなのにうんと経験値の高い女性たちを見たせいだったのだ。

自分に自信を持とうともしないで勝手に卑下しているような人間が、誰かをカスタムしようなんて、コントロールできるだなんて本当に驕っている。愛していないのに愛されようとする方がよっぽどワガママだ。
私は急に恥ずかしくなった。
友人の言葉でパラパラと剥がれ落ちるように、私は自分の自我に気づいたのだった。