数年前、私は東大の理科II類に合格した。

高校時代に通っていた塾ではトップ層の生徒はほぼ理科III類(いわゆる医学部。東大の中でも、他の科類よりもはるかにレベルが高い最難関のため、日本一と言われている)を受験するという風潮で、学びたい分野が当時は特に無かったので、私も流されるままに最初は理科III類を志望していた。

理科III類に合格しなくてよかった。でも父は、違った

だが理科III類に合格できるほどの学力には到達できなかったので、第二志望の理科II類に出願し、無事合格することができた。

入学から数年経った今考えてみると、私は理科II類に入学して今学んでいることがとても楽しいと感じるし、理科II類に所属していたからこそ出会えた素敵な人たちに巡り会い、将来こんな風に働きたいと思えるようなロールモデルを見つけることができた。

また以前、医学にも通じる分野の講義を履修したが、あまりにも興味が湧かなさすぎたので、自分は医者には向いていないのだとも悟った。だからもし、私が理科III類に合格する学力を備えてもう一度入試を受けることができたとしても、理科III類ではなく理科II類を迷わず選ぶ。そう断言できる。

なんだか負け惜しみのように聞こえてしまうかもしれないが、入試の時に理科III類に合格しなくてよかったと思う。これは、私が今学んでいる分野に出会えるように神様が私を理科III類に合格させないようにしたのだとも思ってしまうくらいだ。

偏差値偏重主義者の父親は違った。「時間を戻せたら理科III類に」

だが、偏差値偏重主義者の父親はそうではなかった。

ある時父と、時間を戻せるなら何をしてみたいか話していたら、父はこう言った。
「時間を戻せるなら、受験に対する指導が熱心な中高一貫校にお前を通わせて理科III類に入れるな」
その瞬間、父は今の私を全肯定してくれていないのだと悟った。家族なのだから、私がこれまで歩んできた道を肯定してよ。お父さんの望む道を私は進まなかったかもしれない。だけどそれは私の意思なのだから、尊重してよ。偏差値ではなく、私が何を学びたいかを尊重して欲しいのよ。

ファッションを否定されることなどよりも遥かにダメージが大きい

もちろん、全てにおいて家族に肯定を求めているわけではない。だが、自分が歩んできた道や人生の岐路において選んできた選択肢というのは、自分の人生の根幹をなすものだ。それを家族に否定されるのは、普段のファッションを否定されることなどよりも遥かにダメージが大きいのだ。私は、今の自分を家族にまるっと全部肯定して欲しいだけなのに。私を一番よく知っているはずの家族に今の自分を否定されるだなんてなんだか悲しい。

父に、お前を理科III類に入れたかったと言われる度に心の奥がチクッと痛む。私と父では考え方があまりにも違すぎて、私と父の間にはちょっとやそっとでは越えられない深い深い溝がある。