高校2年生の冬、わたしは進路に悩んでいた。初めてきちんと受けた模試の結果は力が抜けるくらいひどくて、確か小学生の頃は勉強なんて得意な方だったのにな、どこで間違えたんだろう、と思って悲しくなった。この成績で行ける大学もなければ、行きたい大学もない。……いや、正確には、憧れている大学はあった。でも、口が裂けてもそこが志望校だなんてことは言えなかった。あまりにもおこがましくて、恥ずかしすぎたから。

そういえば模試の受験会場だった学習塾では、塾生以外にも成績表を返却するときに面談という名の受験相談会があった。
大学生のチューターに「志望校とかあるの?」と聞かれて、うつむきながら首を振った。言えるわけもない。あのひどく惨めな気分は、なぜかずっと忘れられない。今あの場所に戻れるなら、多分わたしは、その子の手を引いて一目散に家に帰ると思う。

おやつの後は決まって読書。おじいちゃんと本が大好きになっていった

小学生の頃、勉強が得意だったのは本当の話だ。多分、本を読むのが人よりも好きだったから、教科書の内容を理解するのも難しくなかったのだと思う。わたしを本好きにしたのは、だいすきな祖父だった。

両親が共働きだったから、幼稚園のあとはいつも祖父の家に行っていた。そして、おやつを食べたあとは決まって読書。母が小さい頃読んでいた古い絵本が、わたしの遊び相手だった。
祖父は学ぶことが好きな人で、よくブックオフで分厚い本を買ってきては、使わなくなった手帳になにやら書き込みながら熱心に読書をしていた。わたしが読む絵本には特にメモできるような内容も無かったけれど、夢中になって本を読むわたしを見つめる祖父の優しい目が嬉しくて、わたしはどんどん読書が好きになった。自分で画用紙に物語を書いたりもした。おじいちゃんと毎日並んで本を読み、本が好きになって、そして、気づいた時には生粋のおじいちゃん子になっていた。

小学生の頃はテスト勉強なんてしなくてもだいたい100点を取れたのに、中学生になったら途端にダメになった。鈍感なわたしは「テスト勉強をしないからいい点が取れない」ことに気づかず、どんどん周りに遅れを取っていく。そして、中学高校の勉強の基礎がすっぽり抜けたまま、高2の冬の模試でひどい結果を取ったのだ。

「芥川賞か直木賞」と言うおじいちゃんは笑っちゃうくらい真剣だった

「おじいちゃん、わたし将来どんな大人になるかな」
鞄の中の模試の結果を見せられるはずもなく、わたしはそう聞いた。祖父はまだ、わたしが小学生の時のように勉強ができると信じていて、それがとても情けないような、申し訳ないような気がしていた。並んで本を読んでいるだけで褒められた時代に戻りたいと思うくらい。

中学にあがってからは一度も勉強の話をしたことがなかったのに、まして将来の話なんて、なんであのとき祖父にそう聞いたのかは今でも分からない。でも、祖父は、満点の回答をしてくれたと今でも思う。

「そうだね、才能があるからね。文章を書いて、芥川賞か直木賞を取ればいいんじゃないかな」

まさかの、作家推し。それも、芥川賞か直木賞。
びっくりして思わず笑ってしまった。なのに、祖父の顔は真剣そのもので、「おじいちゃん、本気でわたしのこと信じてるんだ」と思ったらますますおかしくなった。
塾での面談では、成績表に「優先して学習するべき範囲」を表す涙をこぼした顔のマークが全ての範囲についているのを見ながらあんなに惨めな気持ちになったのに、おじいちゃんは、わたしが芥川賞を取れると思っている。笑っちゃうくらい無条件にわたしを信じてる。おじいちゃんを、喜ばせたいと思った。

おじいちゃんが信じてくれているから、わたしはどこまででも行ける

それからのわたしはひたすらに受験勉強に勤しんだ。勉強すれば成績はそこそこあがるもので、わたしは段々と自分を惨めに感じなくなっていった。模試の判定は本番直前までE判定だったけれど、最後の最後に奇跡が起きて、第一志望の大学に合格した。あの冬、口にするのもおこがましいと思った大学から合格をもらった。

奇跡の大逆転のはずなのに、祖父はそこまで驚く様子もなく、「昔っから何でもできたもんねえ、賢かったもんねえ」と頷いた。何でもできて賢いわたしなんてとっくのとうにいないのに、祖父の孫への神格化は止まらない。
「芥川賞、取れたら教えてね」

またそれか。
今のところ芥川賞に挑戦する予定はないけれど、大学生活ではやってみたいこと全てに挑戦してみようと思う。つまずいたって転んだってきっと大丈夫。おじいちゃんが信じてくれているから、わたしはどこまででも行ける。