当時の彼は、だいぶロマンチストだった。旅行先、夕方の浜辺でプロポーズの言葉。同時に差し出された指輪も、私は自分のサイズすら知らないのに、左手の薬指にしかおさまらない。まるで少女マンガか!と突っ込みたくなるシチュエーション。
でも、私はそのとき嬉しさよりも驚き、しいていえば不安の方が勝ってしまっていたことを、どう隠そうかと心の中でヒヤヒヤしていた。
心の準備ができていなかった、といえばそれまでだけれど、私はこんなに突然、自分の環境が変わるであろうことを受け止められるほど大きい器ではなくて、正直、自分のことを考えるので精一杯だった。
その差し出されたダイヤは、仕事と結婚、どっちを取る?そう問いかけているように見えた。
夫の転勤事情に振り回されるのはいつだって妻
その彼は、新卒入社したときから全国転勤が既に決まっていた。学生時代から付き合っていたからそれはわかっていたが、うまく続けば遠距離恋愛をする期間があるのかな?お互い30歳前くらいに結婚?というか、先すぎてわからないし。そんな風に将来を考えるのは先延ばしにしていたら、予想よりも早いプロポーズに慌てることになった。きっと来年には、今2人がいる東京からは引っ越すことになる。
私、仕事はどうするんだろう。転勤に付いてきて、ってことだよね。でも苦しい3年間を抜けて、ちょうど仕事が楽しいと思えてきたのに…やめなきゃいけないのかな。周りの友人や会社の先輩でも、まだそんな人を見たことがないのに。
何気ない会話の中でも引っ掛かっていたことをポツポツ思い出してきた。
「基本的には、家族が帯同するっていうのが前提だよ。そのために家賃補助とかあるし」
「次のところは研修としての面もあるから、また2、3年後に次のところに転勤かな。だいたい、子どもがちょっと大きくなった管理職は単身赴任が多いよ」
なんでそんなに細かなスパンで転勤が必要になるの?会社的にも余計な経費かかるのに。
そう尋ねると、「こういう業界は、ある意味地域との癒着とかを防ぐためらしいよ」
……そんなことのために、配偶者のキャリアを、人生を潰させるのか。もやもやがどんどん膨らむ。でも好きな人からのプロポーズを断ることは考えられなかったし、かといって一部の人がするような保留を申し出る勇気もなかった私は、そのタイミングで彼との結婚を決めた。
その約半年後には、やっぱり転勤の辞令。しばらく別居という手段もあったが、自分たちの性格を考えて一緒に住むことにした。でも仕事も諦められなかった私は、会社を説得して片道2時間の長距離通勤をすることに。これがやっぱり体力的にかなりきつかったが、それ以上に精神的にもこたえた。
ニューノーマルの定着は希望の光
転勤制度なんてなくなればいいのに。何千回、思ったことだろうか。毎日、帰りの電車の中では退職する日のシミュレーションをするのが癖になった。
妻は夫を支える、家庭を守って外で頑張る男性を癒す、それが女性の役目だし、結局は上手く収まるもんなんだ。世間からそう言われているような気がした。好きな人と結婚して好きな仕事もしたい、これはわがままなのだろうか。ずっとそんなことをぐるぐる考える苦しい日が続いた。
長距離通勤が1年近くなるころ、世間の状況は大きく変わった。感染症、新型コロナウイルスの世界的な蔓延だった。こんな強制的な形でのテレワークー在宅勤務の普及は思ってもみなかった。私たちのそれぞれの勤務先も在宅勤務を取り入れた。
ここにきてメディアも二拠点居住や地方移住を次々取り上げ始めた。それは業務をする場所と所属場所に物理的に距離があっても成り立つということの証明だった。
「転勤族との結婚=妻は仕事を諦める」という構図が崩れるかもしれない。そういう希望が見えてきた。このまま、本当に必要な転勤がどのくらいあるのか?日本企業は慣例、形骸化した制度を見直すいい機会でもあるはずだ。
結婚、どう思う?プロポーズされたあの日の私に問いかけたら、きっと不安ばかりの答えになってしまうだろう。私たちにとっての結婚は転勤とは切り離せなかったから。自分の家族や友人や仕事、全て手放さないとダメだと思っていた。でも今は転勤をよくする家族、いわゆる転勤族でも、その配偶者だって好きな仕事を続けられるかもしれない。それもあの時わかっていたら、不安も小さくなって、ちゃんと喜びを噛み締められたと思う。日本ではまだまだキャリアと家庭の板挟みに苦しむのは女性だ。でも私たちだって、欲しいものは全て掴める。日本はきっとそんな社会になりつつある。