生きていれば謝りたい人はたくさん出てくる。迷惑をかけてしまった人へ。喧嘩してしまった人へ。失敗した時に庇ってくれた人へ。
反射的に謝ってしまう場合もよくあると思う。道でぶつかってしまった人へ。物を取りたい時などに「すみません」と言って声をかけたり。
そのくらい日常的に使っている言葉なのに、本当に謝りたい人にはもう謝れない状況になっている事もある。
私にとってのその相手は5年前に亡くなったばあちゃん。今でこそ考えられるようになった事がたくさんあるのに、ちゃんと顔を見て「ごめんね」と言えなくなってしまった。
ばあちゃんにとって待望の女の子、それが私だった
私が生まれた時は、母もこれまでに見たことが無いほどばあちゃんは喜んでいたそうだ。
ばあちゃんの子どもは男3人。孫となる息子たちの子どもも男の子ばかり。そんな中、三男の3番目に生まれてきた私が待ちに待った女の子だった。
私は末っ子という事もあり、それはそれはものすごく可愛がられた。一緒に寝ていたし、近所に連れていく時もおんぶして行ってみんなに紹介して、田んぼや畑、買い物、どこへ行くにも連れてってくれて私は、ばあちゃんっ子になった。
大きくなってから近所の人に会うと、「あんなにちっちゃかったのに、こんなに大きくなったんだね~」ってよく言われていた。
可愛がられ、甘やかされ育ってきたので小さい頃は、欲しいものがあると駄々をこねたり、わがままが凄かったと思う。田んぼや畑も手伝っていたけど、ばあちゃんを助ける為というよりお手伝い賃をくれるから。みたいな感じでやっていた。
私のわがままを一から十まで聞いてくれて、人一倍働いていたばあちゃん
ただ純粋に手伝うことはできなかったのかと、ばあちゃんも無限にお金が出てくるわけじゃ無いのにすごく困らせてしまっていたと、この頃の後悔と反省は今もずっと残っている。
女の子だからと服もたくさん買ってくれた。
「ばあちゃんも、ばあちゃんの母さんにこれ買ってっていうといっぱい買ってくれたんだよ」
ってその話をする時は、小さい子供のように満面の笑みでいつも話をしていた。
当時はそれに甘えっぱなしでばあちゃんの負担なんか考えていなかった。思えばいつもばあちゃんは自分の分は我慢して、代わりに孫たちになんでもやってあげていた。
家の中では朝一番に起きて田んぼへ行って、畑へ行って、疲れているのに料理も裁縫も完璧で、泣いた所なんか見た事なかった。365日朝から晩まで動いていて、休んでいる所を見ることの方が少なかった。
それが当たり前になっていた事。当たり前にしていたばあちゃんが、すごいことを毎日続けていたんだなと大人になった今、とても実感している。
私が中学生、高校生になっていくと部活やバイトがあるからと手伝う頻度がもっと減ってしまっていた。部活がない日くらい手伝えばよかったのに友達と遊びたいのを優先していた。
ばあちゃんはいつだって嫌な顔せず「行ってきな!」ってお菓子やお土産まで用意して行かせてくれた。
本当は人手が欲しいのに、自分がその分動いて家族の為に頑張っていた。
「農作業中に怪我したのかな」そう思って病院に行ったのに
私が高校3年生で部活の最後の大会が近くなってきて帰りが遅くなったり、次の日はバイトで一日入って3日ぐらい顔も見れないぐらい忙しかった時。夜、バイト先に「ばあちゃんが病院に行った」と兄から電話がきた。
「どうせ農作業中にまた怪我とかしたんだろーな」「入院になっちゃうのかな」とその程度だと勝手に予想していた。けれど病院に行くと救急の所にいて、思っていた状態とは全く違かった。
意識は既になく、心臓マッサージの衝撃によって口から出た血、本当に見た事がなかった姿だった。それからどのくらい経ったのかはもう覚えていないが、ばあちゃんは亡くなった。
原因はお風呂で寝てしまっていた事らしい。
お風呂へ入り眠気が襲ってきて、自分でも気付かぬ内に死んでしまう。ばあちゃんがそんな最期を迎える事になるなんて家族全員、思っていなかった。
実感が何もなく翌日も、起きたらいるんでしょと思って寝床に行っても居ない。田んぼか畑かなと思って行っても居ない。夕方になれば帰ってくるんじゃないかと一日中外で待っていたけど、帰ってこなかった。
家に入れば白装束を着て棺に入っているばあちゃんは居た。
頭では亡くなった人は生き返ることなんて絶対にないって分かっていた。けど起きてくれるんじゃないんかって一晩中そばにいた。
朝になって、やっぱり起きることはなくてやっと理解した。理解した途端、涙が止まらなかった。感情よりも先に涙の方が多く出てきて、何も考えれなかったんだと思う。
たった一つだけ、ばあちゃんが叶えてくれなかったわがまま
小さい頃に約束した事がたった一つだけあった。私の結婚式見るまで死なないって事。今まで何回も何十回も「絶対だよ!」とお互いに口に出していた。
「死んじゃったら見れないじゃん……!」
もうあれから5年以上も経つけど、今思い出しても涙は出てくる。このエッセイを書いている時も泣きながら書いていた。
謝りたい相手が生きている内に謝れて、話せる事は奇跡にも近い。
普段から素直になれなかったこと、わがままばっかりだったこと、照れからか感謝を言葉に出せていなかったこと、ばあちゃんにとって待ちに待った女の子だったのに困らせてばかりだったこと。
ばあちゃん本当にごめんなさい。ごめんね。大人になってたくさん考えたことあるんだよ。気づくのが遅くてごめんね。