私には唯一無二の親友がいた。彼女は小学生の時に自宅近くに引越してきた。登下校中ずっと歌を歌ってるし、おまけに歌詞を間違えているし変な子だな、と思ったのが最初の印象だった。

近所に住んでいることもあり、彼女とはよくお互いの家に行きあったり、公園に行って遊んだりした。6年生までクラスは一緒にならなかったが、休み時間もおしゃべりをして過ごした。話題は政治や歴史。そんなことが通じるのは彼女くらいだった。
よく遊んだのと同じくらい、よく喧嘩もした。お互い言いたいことを言い、周りを巻き込んで大騒動にするものの、次の日にはけろっとしていた。喧嘩内容はくだらなかった。例えば、「サトウキビは甘いか、甘すぎるか」の議論が白熱したことがきっかけになったりなどだ。

私の受験を機に、彼女とは違う中学に行くことになった。卒業アルバムに書いてくれた言葉は「道を分つことになりましたが、また同じ道を歩むことができると信じて」ペンではなく、墨で書かれている。当時は小学校6年生。堅苦しくて変な子だな、と今でも見返すたびにクスッと笑ってしまう。

彼女との交流は中学に入ってからも続いていた。むしろ進学先になかなか溶け込めなかった私にとって、彼女との時間は私の唯一楽しみにしていた時間だった。彼女からお誘いの電話がかかってくると嬉しくて仕方なかったし、別れ際は悲しくてたまらなかった。
人間関係で大いに揉めた際も、彼女に毎日のように相談をした。彼女が言った一言は「私はいつでも味方だから」初めて人に言われた言葉だった。
どれだけ励まされたか、今でもよく覚えている。彼女さえいれば、私は他の誰よりも幸せだ。彼女が親友だと認識したのはこの頃である。

調子に乗り出した私は彼女をぞんざいに扱いだした。そして、大喧嘩

高校、大学と進学するごとに、私にも少しずつ友人が増えていった。その中には、私のことを頼りにしてくれる人もいたし、私が頼りにする人もいた。それでも彼女の存在だけは特別だった。彼女を超える人はこれまでも、これからもいない、そう信じることができた。
しかしながら友人が増え、私も調子に乗りだしたのであろう。彼女のことをぞんざいに扱うようになっていった。
そして、ある日大喧嘩をした。

「私のことバカにしてるし、自分のことばかり話してる」そう言われ、私が返してしまった言葉は「バカにしてないのに、そんなこと言われるなら、もうあなたの味方ではいられない」

それから今に至るまで連絡をとっていない。冷静になって考えてみると、たしかに悩みを相談しすぎたかもしれないと思う。相手の話をきちんと聞かず、自分のことにすり替えてしまっていた。そしてそれを彼女には何でも言えると、何でもして良いのだと、甘えてしまっていたような気がする。そんなことが積み重なり、彼女がいっぱいいっぱいになっていることを全く気がついていなかったのだ。

彼女と連絡を取らなくなってからよくわかる。私がこれまで新しい世界に挑戦できたのも、友人関係に悩んでもなんとかなると思えたのも、彼女の存在あってこそだった。
今になって謝って許してくれるかはわからない。
仮に許してくれても私も付き合い方を変えなくてはならないし、これまで通りとはならないだろう。それでも私の今の悩みがなくなり、落ち着いたら謝ってみようと思う。また同じ道を歩めると信じて。