六年ほど前だろうか。
職場の同期が寿退社をすることとなり、寄せ書きをすることになった。(女子とは本当にそういうものが好きである)
私は人生の格言や座右の銘になり得るような文章や言葉を書くのが好きだったので、その時も「何か彼女にぴったりな贈る言葉はないか」と考えていた。ただ、先に言っておくと、その時はとても難産だった。

当時、私はちょっとした役職をいただく立場にあり、次回の会議の準備や予算案件、後輩の育成、クレーム対応などに追われており、心身ともに疲れきっていた。毎日なんとかメイクをして出社をしてタスクをこなすというギリギリの生活を送っていたのでユーモアや思いやりに割くエネルギーが無かったのだ。
いつもならその人物を思い浮かべるだけで降りてきていた言葉が何も出てこず、とにかく適当な言葉が見つからない。彼女に対しては、「おめでとう」以外の妬ましい類の気持ちは微塵も起きなかったのだが、日々の疲労のせいで本当に何も捻り出せない日が何日も続いていた。
当時の私はキャパオーバーになるとその場で思考停止してしまうような人間だったので、割とポンコツだった。にも関わらず、人事の目にはどう映っていたのか、年々評価が上がっていくので我ながら「これはおかしい」と思っていた。そのギャップに苦しんで立ち竦むことが多かった。とどのつまり、色々とどん詰まっていたのである。圧倒的に余裕が無かった。

気分転換に入った映画館で受けた強烈なインスピレーション

そんな状態では新しいアイデア等降ってくるわけもなく、ある時、職場の近くにあった映画館に仕事終わりに寄ってみた。そう、気分転換である。
ふらっと入った映画館。その時観た邦画のセリフの中に、とても沁みた言葉があった。正直、映画のキャストは豪華で映像も美しかったけれど映画自体は退屈だった。だが、そのセリフと出会えただけで私はお金を払った価値があったと思った。
強烈なインスピレーションを受け、ついに適当な言葉が浮かんできた。映画をきっちりエンドロールまで見届けた跡、帰りの電車の中ですぐにスマホのメモを残した。鉄は熱いうちに打て。この余韻が消えない内に、思考をまとめておきたかった。

次の日、出社してからようやく寄せ書きを書いた。もうほとんどのスペースが埋まっていた色紙の、指定された場所にペンを走らせる。私が書く横で、先輩が手元を覗き込んでは「なにこれ?」と笑っていた。

”つま先はいつだって前を向いている”

彼女に向けたようで自分にも向けて書いたメッセージ

私が彼女に寄せた言葉は、たったこれだけ。
入社してから苦楽を共にしてきた彼女に向けて書いたようでいて、その実、自分に向けて書いていたのかもしれない言葉だった。
落ち込んで俯いたっていいよ。自分のつま先くらいしか見えないだろうけど。
────それではひとつ、質問です。そのつま先は、一体どこを向いている?
と、そんな思いを込めて書いたわけだが。

やはりというかなんというか、色紙を受け取った本人にも「なにこれ?」と笑われてしまったのできちんと補足をしておいた。
「あなたらしいね。ありがとう」と笑ってくれたので良しとする。

それからというもの、彼女に贈った言葉はやはり自分にも向けていたようで、思わず俯いてしまう時に思い浮かべている。そうすると、少ししたら顔を上げてまた歩き出せるようになっているのだから不思議だ。
くよくよする時があったって良い。そういう時も必要だから。ただ、その時間がそんなに長くてはいけない。
落ち込んだ時、悲しい時、悔しい時、どうしていいかわからない時。どんな時でも、視界に入るつま先はいつだって前を向いている。