当時の彼氏との帰り道。心ない言葉に、ふつふつと怒りがこみ上げた

高校三年の寒い冬。当時の彼氏との帰り道でのことだった。

「お前ってほどよいブスだから、モテるんだよな」

……は?

衝撃だった。
一瞬何を言われたか分からなかった。とりあえず、「何それひど~い」と適当に流した。できるだけ、表情に何も出ないように。

彼と別れて、一人電車で単語帳を開いた。が、さっきの言葉が頭から離れない。単語なんて一つも頭に入ってこない。
そうしているうちに、ふつふつと怒りが心の底からこみ上げてきた。

自分で言うのもおこがましいが、私は生まれてから一度も「ブスだね」と言われたことがない。むしろ「○○ちゃんってかわいいよね」の常連だった。学年で一番かわいい女子にはなれなくても、TOP10には入れる自信があった。
なのに。なのに、あの男は……
彼氏が言ってはいけない言葉ランキングTOP5には入るであろう言葉をいとも簡単に言いやがって。

彼氏はただのステータス。ああ、私ってこんなに汚かったんだ

そもそも、程よいってなんだよ。
しかも、だ。彼氏がイケメンだったのなら、別にいい。しょうがない。だって彼氏の方がルックス偏差値が高いんだから。諦めがつく。でも、当時の彼氏は絶対にイケメンとはいえなかった。友達から「○○の彼氏かっこいいね」なんて一度も言われたことがない。私たちは美女と野獣カップルだったはずだ。
許せない。お前のような分際で何をほざいてるんだ……

自分は“いい子”だと思っていた私は、このとき、自分のどす黒い一面に初めて気づいたのだった。いや、本当は気づいていたのに目を背けていただけかもしれない。
付き合っている相手のことを、無意識のうちに見下していた自分。
そして私はたぶん、彼氏のことが好きでもなんでもない。彼氏がいることが“ステータス”になっているだけ。
ああ、私ってこんなに汚かったんだ。

でも、私は、そんな“外面良し子”な自分を悪いとは思わなかった。
むしろ、長所だと思った。
だって誰のことも傷つけていないし、家族や親友や恋人であっても、言っちゃいけないことってあると思うし。その線引きが自然とできているなんて、私は意外と器用なのかもしれないとすら思った。

私の根底には“脱・程よいブス”イズムがのさばっている

その後、私は、彼氏がいる“ステータス”を捨てた。言って良いことと悪いことの境界線を乗り越えてしまった彼氏なんてもう要らない。

そして、もう二度と誰にも「程よいブス」なんて言わせないと、「程よいブス」なんて言ったことを後悔させてやると、“完璧な外面”を作ると決めた。
「自分を振った元カレを見返したい」という動機で自分磨きを始める話はよく聞くが、「自分が振ったにもかかわらず元カレを見返したい」という動機は前代未聞である。

まず、今まで以上にルックスを磨いた。YouTubeで痩せる筋トレを探し、ヘアアイロンの使い方をマスターし、大学進学に備えてメイクの練習をした。
そして、“外面良し子力”も高めた。誰と話すときでも、相手がそのとき一番欲しい言葉を探して、投げかけるように努力した。
今でも、私の根底には“脱・程よいブス”イズムがのさばっている。

もし、あのときの発言が“私”を見透かしたものだったとしたら…

あれ以来、私は誰にも「程よいブス」とは言われていない。
今となってはどうしてあんな言葉を平然と投げかけてくるやつと付き合っていたのか、全くわからない。
でも、あのときの言葉が今の私の一部を作っているのは確かだ。
そう考えると、当時の彼氏に感謝しなければならないと思う反面、自分があんなやつの影響をいまだに受けているのかと思うと、本当に悔しい。
 
最後に。もし、いや絶対にないとは思うが、あのときの「程よいブス」発言が、“外面良し子“の私を見透かしたうえでのものだったとしたら。
上辺を取り繕っただけの私が「程よいブス」だという意味だったとしたら。
そのときは「あなたの方が一枚上手だった」と、潔く白旗を上げようと思う。