私の人生は、21の時に変わったんだと思う。

このままじゃ死ぬと思った私は、「留学」という形で自分の人生から逃げた

中学~高校生の時、私はいわゆる「病み期」にいた。毎日が暗くて、逃げ場がなくて。「いい子」「優等生」としての「居場所」があった中学はまだ良かったけど、高校に入ると課題に追われに追われて、それでも成績はどんどん落ちて、朝方まで眠れなくなって、でも朝は6時に起きて、電車の中で立ちながら寝て、授業も出て、部活して、また帰って課題して、終わらなくて、諦めて、でも寝れなくて。テスト前なんか1週間で寝たのが7時間切ってたこともあった。気づけば自分の体はぼろぼろになってて、空回りの毎日。

転機は、高2の夏から1年間行った留学だった。疲れ切った頭でこのままじゃ死ぬと思った私は、「留学」という形でその時決まっていたはずの自分の人生から逃げた。これは、正解だったと思う。留学を通して出会った友人たち、家族は、言葉も話せない、何も出来ない役立たずな私を心から大好きだと言ってくれて、私は戸惑いながらも、素直に気持ちを受け入れることを学んだ。いい子でもない、何もしてあげられない無力な私のままでもいい世界ってあるんだって思った。もう1度笑えるようになった。泣けるようになった。本当に幸せだって思ったし、幸せだった。幸せだって事ある毎に言うようになった。暗闇を克服したんだって思った。毎日幸せでしょうがなかった。
本当に、自分は治ったんだって、思った。

気づけばまた、高校生の私と同じ、真っ暗な世界に1人

それが変わったのは、大学4年の夏だった。6月、2度目の留学から戻った私は、完全に就活に出遅れていた。猛暑の夏を黒いスーツで、毎日歩いた。履歴書を書いて、試験を受けて、面接を受けて、お祈りメールが来る。1日に山のように届く不採用通知。明るかったはずの私の世界は、すこしずつ少しずつ色を失って、また何もかも上手くいかなくなって、ついでに失恋もして。気づけばまた、高校生の私と同じ、真っ暗な世界に1人。克服したと思っていた闇に呑まれて、克服なんてしていなかったんだと気付いて。

そして、私は絶望した。
克服したと思っていた闇に呑まれるなんて思いもしなかった。こんなことを繰り返すくらいなら、生きててなんになるんだろうって思った。どうせ死ぬならもう今すぐ終わらせてもいいじゃないか。何も残らないなら、どうして今こんな思いで生きなければいけないんだ。生きること全て、無意味じゃないか…。

今答えなんて出る訳ないんだ。振り返ってしかわからないんだ

色々あって、私はその夏を越えることが出来たけど、屍のような様相で大学に通っていた。留学先の国にずっと戻りたい、あそこで充電したらまた元気になれるかなぁなんて考えて、向こうの言葉に少しでも触れていたくて、デンマーク哲学の書物を読んでいた時に、この言葉に出会った。

“Livet forstås baglæns, men må leves forlæns." (Søren Kirkegaard)(セーレン・キルケゴール)
(人生は後ろを振り返って初めて理解出来るが、生きるには前を向かねばならない。)

生きる意味についてひたすら考え、答えの見えない未来に絶望していた私は衝撃を受けた。そして、自分の悩みの無意味さを知った。そうか、今答えなんて出る訳ないんだ。振り返ってしかわからないんだと。

とにかく前だと思う方に進むしかないんだ、今の私にはわからないんだから

あの辛かった高校生活から10年経って、今分かることは沢山ある。睡眠大事。自分の気持ちに嘘ついていいことなんてない。でもあの日々があったからこそ今の私があると言える。
大学4年のあの夏はもう5年以上前になるけど、実はまだ私は、あの時の闇から抜け切れていない。1度治ったと信じたものに襲われた衝撃は大きくて、傷はあまりにも深かった。あの夏の意味はまだ今の私にはわからない。もちろん、今を生きる意味も。でも、そんなときは哲学者キルケゴールの言葉を思い出す。今考えたってしょうがない。とにかく前に進まねば、その意味を知ることもできない。

どっちが前なんだかわからなくなって、立ち止まってしまうこともある。意味なんて糞食らえ、もういいんだ、そう思う日もある。でも、そんな私を宥めるのもこの言葉だ。しょうがない、諦めろ。とにかく前だと思う方に進むしかないんだ、今の私にはわからないんだから…そう自分に言い聞かせて。
それが今の私の、力になっている。