はい、じゃあ二人組になってね。

授業中、そう言われても困らない人が本当にうらやましかった。さっさと同じく余り者になっている人をこっそり見つけたいのに、じんわり冷や汗が出てきて、体が動かない。時間がスローモーションで流れていく。永遠に続きそうなその数秒が、耐えられないほど苦痛だった。
私と二人組になってくれる友達はいない。そういう子ども時代だった。

小学生の頃、同じクラスの子たちとはうまくいかないことが多かった。というよりほとんどうまくいったことがない。
タイミングの悪い発言、間の抜けた考え方、そのくせ大人ぶった態度。今振り返れば友達がいなかったのも頷ける。
でも、一人っ子で同じ年代の子どもと遊ぶ経験値がほとんどなかった私には、なぜ自分が話すとイライラして嫌な顔をされるのか、避けられるのか、よく分からなかった。よく分からないけれど、なんだか私は嫌われているらしいことは分かった。
ああ、私嫌われているんだ、そう思うと胃のあたりがきゅうとなって気持ちが悪かった。

「いいじゃない、一人でも」担任の先生の言葉が私を変えた

学校は必ず行くものだと思っていたから、休むことはなかった。でも毎日戦いに行くような気持ち。周りをよく見て、少しも油断してはいけない。怒らせないように、少しでもよく思ってもらえるように。うっとうしがられているのは分かっているけど、なんだか怖くて離れることはできなかった。ずっと一緒にいて、「友達」でい続けないといけない、そう思っていた。

そんな毎日。でも担任の先生が言った言葉が私を変えた。
「いいじゃない、一人でも。一緒にいて嫌な思いするくらいなら、私なら一人で本でも読んでるわ。」
いつ、どんなタイミングで言ったのか、私に対して言ったのかそうでないのかは覚えていない。でもその時の衝撃はまだはっきり覚えている。
「え、いいの?誰かと一緒にいなくても?」
そんなびっくりした気持ちだった。そんな考え方があるなんて。

友達は大切に。
人は一人では生きていけないよ。
友達といる時間はかけがえのないものだ。
親友と呼べる人がいたら幸せ。

そんなきれいごとばかり耳にして、いつの間にか自分もそんな風に思わないといけない気がしていた。「友達がたくさんいたほうがいいし、ひとりぼっちは『かわいそう』」
そんな風に固く信じ込んでいた。
確かにそうなのかもしれない。ちゃんとお互い思いやれる友達のいる今なら友達は大切だって言える。でも子どものときの私にとって「友達」は重たい重たい十字架みたいだった。

でもそうじゃない。一人でいることは悪いことじゃないし、どう毎日を過ごすかは自由なのだ。周りの価値観に流されて自分の悲鳴に耳を塞いでしまっては、一体誰が自分の心の声を聞いてくれるというのだろう。

周りの価値観に合わせずに、自分の心の声を聞いてあげて

それから私はずっと一人で本を読んでいた。無理やり友達でいなくてもいい、一人でいることは悪いことじゃないのだ、と強くいられた。相変わらず二人組になるときは冷や汗をかいていたけど、休み時間は苦痛じゃなくなった。先生のひとことに救われた。

私もそうやって言ってあげられる人になりたい。
周りの価値観に合わせるのではなく、自分の心の声をよく聞いてあげるよう。
何がつらいのか、本当はどんなことを望んでいるのか、自分が一番知っている。
このお話が誰かの救いになりますように。