疲れた時や死にたい気分の時、元彼がくれた豆知識が心をあたたかくする

昔の恋人たちは、賞味期限の切れたケーキのように、過去にどれだけ恋や愛があったとしても、もう味わうことができない。遠目からだとまるでショートケーキのてっぺんを飾るいちごのように可愛らしい思い出に見えても、詳細を思い出そうとすると必ず痛みが伴う。
自分が何を感じるかは分かり切っているのに、怖いもの見たさにデートに行った場所や、食べた昼ごはんや、彼が着ていた服なんかをまるで脳内で映画でも撮っているかのように、何もかも明らかにしようとしてしまう。
賞味期限内ならばケーキは美しく美味しいけれど、腐ったケーキは気持ち悪く、すぐに捨ててしまいたくなる。思い出をぽいと捨てて、私は日常の動作へと戻っていく。
昔の恋人たちは、歴史上の独裁者のように横暴か、捕虜のように惨めな顔をして記憶の中にいた。
大学時代の3年間を付き合った彼は、薄い唇でいつも引き攣ったように笑っていた。「働くということが、既に間違いだ」とか「死にたくない人間はのん気だ」とか、不恰好な言葉を振りかざしていた。今思うと、マイナス思考が移ってしまい、あの頃は沈んだ気持ちになることが多かった。
そのあまりに濃い印象の元彼の前に、3ヶ月だけ付き合っていた、同じ年の男の子がいた。本屋のアルバイトの同僚で、頬にニキビが散り、母親が買ってきたような服を着た、要するにまるで格好のつかない彼。4、5回デートしても、手も繋いでこなかった彼。
別れた後のアルバイトは地獄で、彼が買うアイドルの写真集を私がレジ打ちし、お互い顔を真っ赤にして死にそうになるなんていう、惨事も起こった。
でも、彼が珍しく少し得意顔で話してくれた豆知識を、私は疲れた時や、死にたい気分の時によく思い出している。
「小田急線の急行と各駅って、新宿から小田原の終点まで乗っていても、6分しか変わらないんですよ」
よくよく考えてみると、そんなはずがない。県をまたいでいるし、かなりの大差をつけて、急行の方が早く着く。彼は考えながらゆっくりと言葉を発する、とても頭の良い人だった。じゃあ、何故彼は私にこんなことを言ったのだろうか。
私は大学時代から、疲労で入院するほどに、がむしゃらに頑張る癖があった。サークル、課外活動、アルバイトと、休む暇などなかった。私はのんびりとした彼に飽きて、一方的に別れを告げた。
社会人になっても、あの頃と全く同じ状況になる。「お時間よろしいですか」と声をかけた時に「よろしくないです」と返されるとへこむ。電話は苦手なのに、責める口調で話されると削られる。そんな時に、ふと彼の言葉を思い出す。焦っても、行き着く場所は同じなのかもしれない。息をするために一旦立ち止まろう。
彼の一言を思い出してから、昔の恋人たちがそんなに嫌な存在ではなくなった。もちろん、どう考えても理不尽だったこともあるし、絶対に会いたくない人もいるけれど、昔の恋人たちの小さな気遣いや、何気ない一言が、私の毎日をじんわりとあたたかくしてくれる。
実はケーキよりもずっと日持ちのする、彼らが存在した事実に支えられて、日々を過ごしている。
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