「人間は忘れるから生きていける」という言葉がある。そんなことないと思っていた。思い出を失うことは、私を悲しくさせる。断片は覚えているのに、鮮明には思い出せない多くの思い出たちを私は持っている。
今は思い出せるのに、それには必ず賞味期限がついている。いずれかは忘れてしまう。

形に残らなかった思い出は時間が経つにつれ忘れていくのだろう

ある日の掃除をしているときだった。私のよくない癖は掃除の最中に思い出アルバムを読み返してしまうこと。
その時、私が見つけたのは今までもらった数々の手紙だった。尊敬をしている人からの手紙、元カレからの手紙、かつての親友からの手紙、外国のお友達からの手紙、すべての手紙を読み返すとともにその時の思い出が蘇ってきた。

こんなこともあったなぁと思い出すことは懐かしくて、温かい気持ちが広がるとともに切なさを感じた。こんな素敵な出来事が私にはあったのに、今の今まですっかり忘れていたのだ。全てが大事で貴重な思い出なのに。
この手紙なしでは私はもう思いだすことなどなかったのだろうということ、それが、なぜかとても悲しかった。思い出を振り返りながら、私はこの人たちとはもう二度と会えないかもしれないな、と思った。その事実が悲しかった。

こうやって形に残せる思い出はまだ救いだ。たとえば手紙だったり写真があれば、あの頃の感情を少しでも思い出すことはできる。
でも、素晴らしい瞬間というものは時にふいにやってきて、私に形を残すことさえ許さず過ぎていく。たとえば出会うことのなかった人との出会い、心が通じ合っていると感じたときに交わした二言くらいの会話だったり、一目惚れだったり、あの夜のドライブも。
ただの平凡の日のはずだったのに、それは突如やってきて強烈に私の心に強く残っていく。

その素晴らしい瞬間の数々はもう二度と来ない、そして形に残らなかった思い出は時間が経つにつれ忘れていくのだろう。思い出すことはできても、詳細を描くことは多分できなくて。それがとてもつらい。
あの時私はもっと何か言えてれば変わっていたのだろうか、なぜこんな行動しかできなかったのだろう、そればかりが頭を支配する。後になって残る後悔は結構しぶとかったりする。
それも時間が経つにつれて、素敵な思い出へと変わってしまう。

思い出を考え続けることによって忘れないようにしている

なぜ思い出は美化されてしまうのだろう? その瞬間には気づかなかった、ただその時間を過ごすことに一生懸命だった、そして後で気づく、その時間がどれだけ稀少で美しいものだったのかと。
どんなに辛かったことも、嫌だったことも、時間が経つと輝かしいものに変わっている。あの時の苦労も全部笑い話になっていたり、あの時の涙も私の成長のために必要なことなんだったもしれないと楽観的になってしまったりする。
そうやって勝手に脳内で美化された思い出は、今の私が過ごしている日常には決してかなわない。あの輝かしい時間に戻りたいのに、もう戻れないということ。分かってはいても、私はどうしても受け止めることができなかった。

今の私にはどうしても忘れたくない思い出がある。一目惚れというやつだ。突如出会って、たぶんもう二度と会えない。
相手と交わした少ない言葉の数々も、あの時の感情も、相手は多分思い出すことすらないんだろうなぁと思いながらも私はその思い出を心の中に大事にしまっている。
そして、それはどんどん時間が経つにつれ消えていくのだろうと知っている。もう二度とあの時間に戻ることができないということも、分かっているけど今の私はその思い出を考え続けることによって忘れないようにしている。
ロマンチックすぎる自分に少しびっくりするが、それぐらい私にとっては衝撃的で素晴らしい瞬間だった。

忘れることは決して悲しいことじゃないのかもしれない

そんな私は全てを忘れてしまう前に、紙にその出来事の詳細をすべてを書き留めた。日記を読み返せば、確かに思い出すことはできると思うからだ。
あの時の感情をもう二度と感じることはないのかもしれないことが怖くて、文字におこすことで十分と味わっていたかった。それは良くも悪くも、私に忘れるということを防いでくれるのかもしれない。忘れる前に読めば思い出すことはできるかもしれない。
だけど、意識的に読み返せば読み返すほど、それはもう過ぎ去ってしまった過去から私を縛りつけるのではないかと感じた。
私の心の奥で、これじゃいけないと感じた。思い出は思い出でしかない、私は思い出の中では生きていけない。

私は思い出を手放す決意をする。もしかしたら、思い出はふいに思い出すほうがいいのかもしれない。忘れるのをあまりに恐れるのは毒だ。過ぎ去った過去は静かに蓋をするのがいいのかもしれない。
そして、いつか思い出せたらラッキーくらいの気持ちでほおっておく方が、綺麗にさよならができるのかもしれない。前に進めるのかもしれない。
今までの数々の思い出たちが今の私をたしかに支えている。数々の出来事があったからこそ、私は強くなり、成長してきた。
でも、これからも私は忘れ続ける。いつか思い出す時が来たら、きっと切ない気持ちになったり懐かしい気持ちになったりするのだろう。私は忘れ続ける自分を受け止めて、前向きに今を生きていきたい。
忘れることは決して悲しいことじゃないのかもしれない。忘れるからこそ、今をちゃんと生きれるのかもしれない。
これからも過ぎ去る今は、その瞬間から過去となり私の思い出と変わる。それはいつか、必ず未来の私を支えてくれる強さに変わるはずだと信じている。