高校生の頃は、27歳なんてずっとずっと先だと思っていたし、私たち仲良しグループの誰かが結婚し、ましてや妊娠するなど、想像してもみなかった。
大きなナンが付いてくるカレーを、なぜか電話の親機が2階に設置されているカレー屋さんで下校途中に一緒に食べて、くだらない話題でゲラゲラ笑って、些細なことでケンカしてーー。そんな一生の友たちが、私をひとり置いて、みんな揃って2年立たずに結婚してしまった。
「一番結婚が遅い人は誰だと思う?」という話題でいつも名前が挙がったのは、どのコミュニティでも私だった。だから、そこまで自分自身も驚いていない。…けれど、「置いていかれた感じ」がするのも事実だった。
ドレスはあまり試着をしなかっただとか、招待状のデザインを参考にさせてだとか、そんな話題が出るたびに、気の利いた言葉の一つも出なくなるくらい口を開くことができなくなった。自分を取り残して、先に行ってしまったような、私だけひとりで、高校時代に留まっているような、そんな心境だった。
「結婚はまだ?」なんて聞かれるのはドラマの中だけじゃない
私には、もうかれこれ6年付き合っている、フランス人の彼がいる。彼とは留学時代に出会い、今は一緒に住んでいる。友人の中でも、一番長く付き合っているのは実は私と彼だ。
けれど、私たちはまだ結婚はしていない。きっとそれは私がキャリアを大事にしているということもあれば、彼にあまり結婚願望がなかったことも一因だと思う。フランスでは、結婚は夫婦の二人の間の問題で、決して子どもや親に左右される出来事ではないのだ。結婚しなくても一緒に居られるから、特にする必要も差し迫ってはないなと思うから、ということも大きな理由の一つだ。
27歳にもなると、「結婚はまだなの?」「彼が(プロポーズ)頑張らないと!」という言葉が、どんなコミュニティでも投げかけられるようになった。職場の同僚にも、友達にも、家族にも言われた経験がある。そんなことを言われるだなんて、ドラマの中の話だけだと思っていたのに。
祖母には「私も25歳、あんたのお母さんも25歳で産んだのに…あんたが崩したわね」と言われた時は、あまり人の言葉を聞かない私もさすがに傷ついた。悪意がなく投げられるそういった言葉が鋭く尖ったナイフのように、どれだけ心を傷つけるものなのかを、質問してくる人たちは決して知らない。
「30歳を越えて結婚してない女はやっぱり拗らせてるわ…」と、高校時代の女友達3人と女性が主役の婚活ドキュメンタリーを見ていたとき、1人の友達がそう言った。
「30歳を越えて私が結婚してなくても、同じこと言える?」と言いかけたけれどぐっと飲み込んで、モヤモヤとした気持ちを自分の中でそっと鍵にかけてしまい込んだ。私が言わずとも、「年齢で自由を縛る呪い」をかけた彼女にも、呪いはいつかもれなく跳ね返ってくるだろう。
結婚も姓も自由に選べる世の中へ!
私は、もっと結婚は自由な選択であるべきだと思う。
結婚をしたくないという人は結婚をしなくてもいいと思うし、その一方で愛し合っている結婚をしたい二人には、結婚をすると言う選択肢を提示すべきだと思う。
今は同性婚が日本ではできず、「伝統的な日本の家族が崩れる」や「悪用の恐れがある」なんて言う人もいるけれど、「長い日本の歴史の中で明治時代以降のたった200年程度しか続いていないものを伝統と呼ぶならそれは陳腐な伝統ですね」と返したくなるし、「異性間の婚姻も悪用の恐れがあるのでは?」と言ってやりたくなる。
選択的夫婦別姓の話も同じだ。夫婦別姓にしたい人に選択肢を与えるといった、小学生でもわかるすごく簡単な話なのに、「家族になりたいなら名字を同じにしたい女性が多いと思う」なんてよくわからないことを言い出す人がいる。「多いと思う」なんて曖昧なことを言っていないで、世の中に選択的夫婦別姓の賛否を取ってみたらいい。
別に若いから結婚してはいけないというわけではないし、たとえおじいさんおばあさんになっても、結婚をしていい。結婚は何歳でしたから良い、悪いという事柄ではないのは、よくよく考えてみれば誰もがわかるはずだ。
他人の「好き」に口を出せる権利は、他人にはない。それをもっと、私たちは自覚すべきだ。
結婚は、もっと自由でいい。
私たちの考え方も、もっと自由で、寛容であって欲しい。
ーーいや、あるべきなのだ。