別れ話は数えきれないほどした。
別れたいと思ったことは、一度もなかったけれど。
私たちはとにかく喧嘩が多く、その度にいつも決まって私が「別れる!」と言った。あの頃の愚かな私は別れる勇気なんてないくせに、この一言をまるで必殺技のように乱用していた。こう言えば、「別れたくない」と相手が折れてくれると思っていたのだ。まったく本当に愚かな話である。
しかしこの必殺技、意外にも効き目はあった。彼は「どうしてそうなるの?」と少し怒った顔をして、そのあと必ず「別れたくないよ」と言ってくれた。時にはこの必殺技が火に油を注ぐ結果となり、本当に別れる手前まで喧嘩が激化したこともあったけれど、それでも最後には「ごめんね、大好きだよ、別れたくないよ」で仲直り。私はこの瞬間、いつも彼からの愛情を感じることができた。本当に歪んだ愛情表現だったと思う。
感性がとにかく似ていたけれど、価値観が全く合わなかった彼
彼のことは本当に大好きだった。感性がとにかく似ていたので、好きな音楽や服の系統、趣味までことごとく同じだった。どこに行くにも何をするにも彼と一緒だったし、そんな毎日がとても幸せだった。私たちは恋人同士だったけれど、それと同時にとても気の合う友達同士でもあった。ここまで嗜好の合う人に今まで出会ったことがなかった。それゆえ私にとって彼は、恋人としても友達としても絶対に失いたくない、かけがえのない存在だったのだ。
ところが、価値観は全く合わなかった。物事の考え方や視点がお互いにズレていたのである。毎回些細なことで喧嘩になるのは、それが原因だったのだろう。
喧嘩をして仲直りをするとき、お互いに涙でぐしゃぐしゃになった顔でキスをするとき、確かに彼の私に対する大きな愛情を感じたけれど、そもそも喧嘩なんてしたくなかった。
毎日笑って過ごすことができていたら、私だってこんなに歪んだ愛情表現を欲することはなかったのではないかと思う。
私たちは一見お似合いのようで実は全くそうではなく、肝心なところが真逆だった。悲しいことに、気付いてしまったのだ。
私たちに恋人同士は向いていなかった。友達なら長くいられたのに
私たちの関係に、恋愛感情はきっと不要だった。
恋人同士は向いていなかった。ただの友達同士でいる方がずっと長続きする関係だった。
好きになってしまったから、拗れたのだ。付き合ってしまったから、別れられなくなったのだ。嗜好が合いすぎることを運命だと錯覚して、余計に手放せなくなってしまったのだ。
冒頭の台詞を訂正しよう。
別れ話は数えきれないほどした。
別れたいと思ったことは、一度もなかったけれど、
付き合わなければ、と思ったことは何度もあった。
私たちは結局、1年弱で「他人」になってしまった。
最後は彼が私の必殺技を使った。
「もう好きじゃなくなった」というオプション付きで。喧嘩別れだった。
また巡り会えたら、もう絶対に好きにならないと誓うよ
彼との時間は確かに幸せだったけれど、結局長く続かないのなら、友達ですらいられなくなるのなら、最初からこの幸せを知らない方が寧ろ幸せだったのかもしれないと思った。
付き合っていたからこそ出来た思い出も沢山あるので全てを後悔しているわけではないけれど、「彼」という存在を失った代償は大きかった。大きすぎた。
好きなバンドが新譜を発表したとき、買い物でどちらを買おうか迷ったとき、ふと行きつけの居酒屋に行きたくなったとき、ただの友達同士だったら気軽に連絡できたのに、今はそれすらできなくなってしまったのだから。
もしも生まれ変わってまた巡り会えたら、そのときは絶対に好きにならないと誓うよ。絶対に良い友達同士でいる。それ以上は何も望まないよ。今はもう他人以上の関係には戻れないから、ここでひっそり言うしかないけれど、本当は、
また一緒にライブ、観に行きたいなあ。