私は誰かを好きになることに関して、困ったことはない。幼稚園、小中高大、社会人と、生まれてこのかた好きな人ができない、だとか好きになれないという状態に長期間陥ったことはないと記憶している。つまり周りと比較しないのであれば、個人的には私はいつだって恋愛を謳歌していた。
好きな人が複数いたこともあったし、両思いも、しつこく好かれることも何年も叶わない片思いの恋も、いろんな形があったし総じて(今思えば)楽しかった。
ひとりだけ「忘れようとしている人」について、を除けば。

恋人とも心理的な距離を保ち「忘れられない」状況がなかった私だった

「忘れられない」という状態は、深い愛や熱い思いのほか、執着や恨みなどがあると思う。私に忘れられない人といえる人がいないのは、全身全霊の恋をしたことがないからだ。好きな人はいつでもいるけれど、情熱的に、熱烈に、人生を捧げたいと思うくらい誰かを愛するということが、自分にはなかった。
私がどんな人に対してもある一定の距離以上心理的に近づくことがなかったのは、なにか理由があってというよりは、潜在意識の中で人と人がお互いによりかかりすぎて自立できなくなる共依存への恐怖や、自分のアイデンティティを守ることとが強く精神に根付いているから。
誰かと自分が同じになってしまうくらいの距離まで近づくことも、そこから離れることも、怖いのだと思う。自分が誰かと一体になってしまうところまでいったとき恐ろしいのは、自分の考えを失ってしまうこと。指針がなくなり、どこを目指してどんな軸で生きていったらよいのか、わからなくなってしまうことが怖い。
だから私は恋人との心理的な距離を保とうと努力していたし、離れることになった恋人はこれからの人生に組み込まないようにしようとしている。それは思い出さないという意味ではなくて、関わり続けないという意味で。時間が癒してくれると思いたい私は今、これから結婚する相手の直前に付き合っていた「忘れようとしている」元恋人の夢を時折見ては、まだらしい、と心の中でつぶやく。

年上で出会ったことのないタイプだった「忘れようとしている」人

その人はずいぶん年上の男の人なのに、こどもっぽい部分と理屈っぽい部分が不釣り合いだった。身近な人の中ではかなり激しい物言いをする人で、私はその語気に辟易することもしばしば。
私は当時精神的に疲弊していたので、かなり心の支えだったとはいえ、そのおかしい状態にしてなんとか対峙できる類の、出会ったことのないタイプだったのだ。そのときは珍しいものを見る楽しさが勝ち、ちょうど年齢的にも自由な選択をしていいと思えるときだったのでひょいと船に乗ってしまった。
いろんなことがあったので、別れてしまった後には良い印象よりも悪い印象が強く残ってしまったけれど、私はかなり、愛されていたのだろうと思う。
執着されていたのではないことが確かなのは、別れたいと伝えてから問答となった最後、ぼろくそに私を痛めつけたりしないで「幸せになってね」と言ったきり、一度も連絡をよこさないからだ。かなり昔のことまで根に持って、ネチネチしている人だったから、どれだけ執着してくるのだろうと心配していた私をよそに、別れて数年過ぎた今でも、誕生日おめでとう、の連絡だって一度もない。
さみしくも思えるけれど、それだけ相手の新しい人生を応援しているとも捉えることができるし、新たな道に進んだ相手に影響を及ぼさないというのはとっても大事なことだと思う。これがこじれたりするから、恋愛が面倒くさいものになってしまう。本来、別れるということは、もう関わらないということで、それがあるから恋愛が刹那的な神聖なものになる、と私は思うのだけれど。

年齢を重ね、魅力だった彼の生き方に嫌気がさして別れを望んだ

元恋人には、そもそもはっきりと「別れたい」と言えなかった。
自分で事業を起こし、1年の3分の1は私を置いて海外へふらりと旅立ってしまう彼の自由で回りに流されないところは、彼の魅力であり私のあこがれだったはずだった。私も大概自由な気質の人間なので、彼のスタイルを理解して受け入れるどころか、束縛がなくてなんて楽なのだろうとすら思っていたはずだった。
そのスタイルへ疑問を持ち始めたのはいつのことだったか。私は自分が年齢を重ねるとともに、こんなにも考えが変化してしまうとは想像もしなかったのだ。
彼の生き方に惹かれて一緒にいることを選んだ私は、いつの間にか彼の生き方に嫌気がさして別れを望む私になってしまった。
それを説明することは、どうしても、彼のすべてを否定してしまうことになる。人として嫌いになったわけでも、好きな人ができたわけでもなかった。うまく取り繕うことも嘘をつくこともできずまごまごしているうちに、諦めたように「別れたいんでしょ?」と言わせてしまった。
どんな気持ちで私を外の世界へ送り出したのだろうと思うと、少し胸がきゅっと締め付けられる。ひょいと乗りこんで始まった船旅は、私には思いのほか長すぎたのだ。
「幸せになってね」と言われた通りに、私は今幸せになっている。大好きな人との結婚が現実となって、情熱的で熱烈な恋心以外にも、人生を捧げたいと思う愛情があることを知った。
私を手放し幸せにしてくれたのは、もしかしたら元恋人の愛だったのかもしれない。
直接伝えることは許されないけれど、絶対に投函しない手紙に思いをしたためた。紙に吐き出された気持ちが私から抜け落ち、いつの間にか忘れることができることを願う。
「あなたも、幸せになってください。」