私を変えた言葉がある。
母に言われた「人間関係はあなたを映す鏡だから、新陳代謝も大事だよ。」という言葉だ。
当時私は、ある友達との関係にとても悩んでいた。
なんでも相談してきた彼女。だが、違和感のある関係だった
彼女とは、高校入学してすぐに仲良くなりもう6年目の付き合いだ。仲が良くお互いの性格を知り尽くしていて、これまで進路や人間関係、恋愛などすべてを話し、相談してきた仲だった。
だが、なんとなく違和感のある関係ではあった。それは上下関係というのか服従関係というのかわからないが、彼女の言うことは絶対だった。口癖は「友達少ないから仲良くしてあげているんだよ。」で、「塾サボって放課後遊ぼうよ。」という誘いを断ろうものならその日中喋っても無視されたし、私は「本当可愛くないよね。」と言われても苦笑いすることしかできなかった。
それでも、私自身子分のように振る舞うのは楽だったし、言い返すような自信もなかったのだ。
環境が変わると、お互いの生活や方向性はもっと変わっていった。彼女は地元の大学へ入学し、私とは縁遠い人たちと遊ぶようになった。初めこそ新しくできた友達や恋人について話してくれたものの、次第にそれも教えてくれなくなった。
対して私は上京し、新しい出会いや慣れない東京生活に馴染もうと必死だった。芋臭かった服や髪型を変えたりメイクを勉強したりして、早く周りの子に引けを取らないくらいのおしゃれになりたかったし、垢抜けていく自分がだんだん好きになり自信もついた。
いつもの調子でいじってくる彼女に隠せない苛立ち
そんな時に「しばらく東京行くから泊めてよ。」と言われて、彼女と久しぶりに再会する事になった。久々の再会だったが、会った瞬間からずっと一緒にいたかのように打ち解けて話して、会えなかった間のあれこれに話が弾んだ。
だが「まさかあんたに彼氏ができるとはね。」とか「あんなブサイクだったのにすっかり東京の女みたいな顔しちゃって。」といつもの調子でいじってくる彼女に私はとてもイラついていた。
これまではヘラヘラと笑えていたのに、なぜかその時は「どうしてバカにされないといけないんだろう」と思い悔しかった。
このことを母に相談すると、思いもよらない答えが返ってきたので驚いた。
「もう友達やめちゃいなよ。」「居心地が悪くなったのはあなたが変わったからだよ。」「人間関係はあなたを映す鏡だから、新陳代謝も大事だよ。」と言われ、私は自分はこの数年間でとても変わったのかもしれないなと気づいた。
これまでは人に何か言われると断れない性格でなんでも二つ返事でオーケーしてしまっていたし、いじられキャラや人の腰巾着でいることが一番楽なのだと感じていた。
だが自分のことが好きになり自信がついて、いつの間にか嫌なことは嫌だと言えるようになっていた。また他に高め合う友達ができ、そちらに居心地の良さを感じていたので彼女のことはもう必要なくなったのかもしれないと思った。
私は今どんな人と一緒にいたいだろうか。出会いも別れも全部意味がある
これまで一度仲良くなった子には人情深く振る舞うことが正しいと信じていたし、友人関係とは不変の関係のことだと思っていた。それに人間関係が私を表す鏡だなんて考えたこともなかったのだ。だが、より良い自分になりたいと願った時、「私は今どんな人と一緒にいたいだろうか」と考え直すことも大切かもしれない。
改めて考えてみると彼女と一緒にいた時よりずっと私は輝いているし、彼女と離れる決断をした後なお一層自分は生き生きといられる気がするのだ。
母に言われた言葉によって、私は断ることや手放すことを怖がらなくなった。そしてだからこそ新たな出会いにも積極的になれたし、大事にしたいと思える人に深く愛情を注げるようになった。
私が一皮むけるたびに、新たな人と仲良くなれるんだなと思うと心が軽くなったのだ。人生は出会いや別れの連続だが、それら全てに意味があるんだろうなと、今は楽しみに構えることができる。