私には中学のとき、どこへ行くにもいっしょの友達がいた。
お互いのクラスが違っても、お弁当を食べていたし、移動教室もトイレもいっしょに行っていた。同じ部活だったので、もちろん日々の下校もいっしょだった。
休日は、映画をみたり、お揃いのゴムやアクセサリーを買った。プリクラでは、”ずっと仲良し”とか部活名を書いていた。
でも高校生くらいから、少しずついっしょに過ごす時間が減っていった。

私を独り占めしたい気持ちが強かった彼女

聞いている曲が違う。もちろんカラオケで歌う曲も違う。私の好きな本も映画も、ドラマもあまり興味が無いようだった。まあそれらはいい。
私を独り占めしたい気持ちが強く、私に彼女以外の友達がいることが気にくわないようだった。バレンタインに彼女が友達に配るチョコ。私にだけ、クッキーもくれた。

思春期の頃は、誰だってそうだった。
反抗期で母や父にうまく気持ちを伝えらえず、ぎくしゃくしたとき、友達だけが私を理解してくれているような気持ちになった。
友達とはいろんな話をした。宿題が多いうえに難しいこと、先生の悪口、その場にはいない人の噂話、昨日のドラマの話。
中学、高校ともに女子校だったせいか、付き合っているひとや好きなひとを話題にするひとはほとんどいなかった。恋愛について話さずに、休み時間も惜しんで私たちは何をしゃべりまくっていたのだろうか。

気のおけない存在が家族以外にできたこと、すごくうれしかった。
私にとってのあなたの存在が、あなたにとっても同じであったらいいのにと思ったこともある。でも想いの温度はなかなか釣り合わない。恋愛の好きの温度と同じで。悲しいけれど。

私が大事なことを話すのは彼女じゃなかった

私の場合、彼女にとって私の存在が絶対的なものだった。うれしいけれど、少しずつ重くなっていった。
「こんなこと、言えるのはゆんだけ」「卒業してもずっと会ってるのはゆんだけ」
高校でも、大学でも、会社でも、私が大事なことを話すのは彼女じゃなかった。
なのに、よく会っていた。

いつからか彼女と話していたら、自分は頑張っていないと言われている気がした。
彼女が必死にしがみついている医療関係の仕事。その仕事がいちばん社会の役に立っていて、それ以外はあってもなくてもいいとしている価値観に、もうしんどかった。
たしかに社会に必要な仕事である。特にコロナ禍のいま、自身の命をすり減らし、日々医療現場で働かれている方々を思うと頭が下がる思いでいっぱいになる。

いま、生きるうえで必須とはされていない本や音楽、お笑い。映画にドラマ、そして絵画。でも私にとっては、なくなっては困るものだ。
言葉を、言葉にならないものをたくさんもらった。そうやって生きてきた私が否定された気持ちになった。

きっと仕事に偉いも偉くないもないも、すごいもすごくないもない。
高校、大学、勤務地。すべて違ったこと、本当はほっとしていた。このままずっといっしょにいたら、広がるはずの交友関係も広がらない。暗に避けていたのかもしれない。

自分で距離を調整できるのが、大人なのかな

ある日、長年感じていたこのもやもやとした気持ちを大学の友達にLINEで打ち明けてみた。
「もう大人なんだから、付き合うひとは選んでいいんじゃない。仕事じゃないし」と友達から返ってきた。
私は何に縛られていたのだろう。好きなもの、考え方の違う私たちをつなぎとめていたものは何だったんだろう。
その言葉を受けて、中学の友達から依頼されていたことを断った。中学で友達になって以来初めて、私の誕生日に連絡がこなかった。

ひととの距離は関係に合わせて、近くなったり遠くなったりする。自分で距離を調整できるのが、大人なのかなと思う。
私が誰かに距離を取られることもあるだろう。家族でも、恋人でも、友達でも、自分を大切にできる距離でいれたらそれでいい。