「どこ出身?」
と聞かれるのが嫌いだった。

東京、と答えてシティガールじゃん!といじられるあの苦々しい感じや、地方出身者たちのつまらなそうな視線にたちまち居心地が悪くなる。実際のところは誰も東京出身者を珍しがってもいないし、白けた空気にもなっていないのだけれど、わたしは確かに、その質問になると少し気まずい気持ちになってしまう。
そうして、「たいした名産品もなくてつまらない場所だよね」と東京を悪く言ってしまうのだ。

「かえる場所」がある彼女たちが羨ましかった

 東京出身ではない人と初めてきちんと関わったのは、大学に入学してからだった。高校を卒業するまでは東京出身者が大半をしめるコミュニティーにいたので、同じ島国で生きてきたにも関わらず地域性が生み出す多様性に衝撃を受けた。

 まず、関西出身の友人たちは話すスピードがものすごく早い。標準語でははんなりと話す友人も、感情が高ぶって関西弁に戻るとまるでハムスターの滑車のごとく話しはじめる。九州出身の友人たちはときどきでてくる訛りがかわいらしくて真似をしたくなってしまうし、何よりお酒が強い人が多いのでうれしい。東北出身の友人たちはなぜかみんな寒さに強く、冬場でも軽いジャケット一枚で大学にやってきたりする。もちろん、そんな地域性には全くといっていいほど当てはまらない人たちもたくさんいるけれど。

 彼女たちは、大型休暇になるたびに決まって「地元」へ帰っていった。わたしはそれが寂しくて、見送るたびにおいていかれるような気持ちになった。みんなには、わたしと過ごす時間以外にも、しっかりとした「かえる場所」があるのだ。新幹線に揺られ、あるいは飛行機に乗り、自分を待っていてくれる「かえる場所」が。その事実をつきつけられたとき、たまらなく寂しい気持ちになった。そして、そんな彼女たちのことがどうしようもなく羨ましかった。わたしには、彼女たちのように「かえる場所」がないから。

東京という街の節々に、自分の人生の記憶が染みついている

 わたしの「地元」は、今いるこの場所だ。幼い頃から都内での引っ越しが多かったこともあるし、住んでいる地域の学校に通ったこともなかったので、生まれ育った街というものがない。小学校は銀座にあって卒業後もあまりに何度も通るのでなつかしさは感じられなくなってしまったし、その後に通っていた学校もどれも近所ではなかったため、地元といえる場所で友達と遊んだ記憶もほとんどない。だから、子どもの頃から馴染みがありここにいると落ち着く、という場所はいくつかあっても、「かえる場所」はどこにもないのだ。そういう理由で、「地元」を聞かれるたびに、気まずい気持ちを抱えてしまうのだと思う。

 それでも、わたしはやっぱり東京が大好きだ。田舎のようなあたたかさはないし、街ゆく人々はどこかよそよそしいけれど、落ち着く場所がたくさんある。そして何より、街の節々に、自分の人生の記憶が染みついている。だから、「かえる場所」のないことを、引け目に感じる必要はないのだ。だって、わたしはこれからも「かえる場所」のないまま東京で生きていくしかないから。ほんの少しの寂しさを胸に抱えながら。

次は胸をはって「東京出身」と答えたい

 つぎに、どこ出身?と聞かれることがあったら、わたしはまっすぐな気持ちで「東京」と答えたい。そして、東京で出会った大好きな場所の話をしよう。子どもの頃溜まり場だった原宿のキディランドや、なくなってしまった銀座の旭屋書店の話を。そして、聞いてくれたひとに「今度一緒に行きましょう」なんて言おう。これは、東京出身者の数少ない特権だ。いつか、今こんな話をしている場所が「かえる場所」になっていくかもしれないのだから。