誰かのために私は在る。
それをいちばん確認しやすいもの、それが働くことだと思う。
働くことで私は私の形を知っていく。
時に時間に追われ、叱られ、褒められ、貶され、認められ目まぐるしく変わっていく私と社会。
その中で私が私として地に立つために働くことがある。

私は働く。名前も知らないあなたのために。
働いている時手元の手柄だけを追いかけていると不意に虚無になる。
だけどこう考えることは出来ないだろうか。
私の働きは手紙なのだ。
きっと私の頑張りは賃金や評価だけではない。世界をちょっとでも幸せになるために、祈りを込めた手紙なのだ。

少しでも誰かのためにと笑顔を心掛けていた仕事中、事件は起きた

こんなことがあった。
私が病院のリハビリ科で受付をしていた時のことだ。
リハビリ科には様々な理由で四肢が欠損してしまったり、痺れてしまったり、元々なかったりする方々がくる。
働く前の私はリハビリについてこう考えていた。
「確かにスタートは地獄かもしれないけど明るい未来に向かっていくポジティブな工程だ。私が笑顔で受付にいることで利用者の方に少しでも今日のモチベーションになればいいなぁ。」
しかし、現実は過酷だった。
午前中は沢山の軽傷から中傷の方がいらっしゃる。
問題は午後だ。
両足を欠損し義足で生活できるよう調整している高校生ぐらいの男の子は叫ぶ
「こんなはずじゃなかった!!!」
ご高齢の患者さんは作業療法士さんの言うことを聞かず冷めた目でずっと外を見てる。
まだ小さなお子さんを連れたお母さんは涙袋から少し涙がはみ出てる。
午後のリハビリ科はこの世の地獄を集めて固めたような場所だ。
そこで事件は起こる。

「何笑ってるんだ!!!!」
ご高齢の方の怒声が響く。
「バカにしてんだろ。バカにしてんだろ。俺だってなりたくてなった訳じゃねぇんだよ。」
突然のことに私は固まってしまった。そして泣いてしまった。これほど自分を不甲斐ないと思ったことは無い。
私はただ、利用者さんにも今日一日を笑顔にすごしてもらいたくてと考えていたがこれは暴力的だった。利用者さんの中にはまだ自分の状況に折り合いがつかず寄り添いが必要な方もいると今更ながら気づいた。
私はその日から笑顔で元気で愛想良くの接し方を変えた。しかし笑顔をやめたのでは無い。利用者さんの気持ちによりそう微笑みの接し方を試行錯誤した。

「今日も頑張ろうって思えた」。利用者さんの言葉に涙が止まらない

半年が過ぎた。午後なのに穏やかで気持ちの良い日が差していた。
利用者さんに声をかけられる。あの泣き叫んでいた高校生だ。
「俺、今日で最後なんだ。」
「そうなのですね。よく頑張ってこられましたね。」
私はこんな時胸がいっぱいになる。
利用者さんの頑張りを少しながら知っているからだ。
「四月一日(わたぬき)さんのおかげだよ」
へ?
「四月一日さんがいつも優しく送りだしてくれるから今日も頑張ろうって思えたんだ。」
嬉し泣きをするのは初めてだった。
どうしてか涙が止まらなかった。
高校生の子は困ってしまった。
彼は大学進学を機に別のクリニックへ移るらしい。
私の微々たる努力が誰かの頑張りに貢献できたことを確認できた瞬間だった。

働くことはつらい。怒られるし、叱られるし、自分の無能を叩きつけられるし。
しかし働くことは嬉しい。誰かのためにという優しい感情が芽生え、認められ、貢献ができた時、大きなカルタシスを得られる。

働くという手紙。あなたが差し出したい相手は誰ですか。