「しかし、最終的にここに進むと決めたのは君自身です」

約六年前の四月、新品の制服に身を包んだ私に向けられた言葉です。この言葉を聞いた時、心に新しい風が吹き、自分のこれからやるべきことが明確になりました。

「私が行きたかったのはここじゃないのに」そんな思いで高校の入学式を迎えた

より偏差値の高い高校を目指して勉強してきたけれど、残念ながら第一志望の学校に合格できず、第二志望校に入学しました。行きたかった高校には友人もたくさんいます。友人たちが入学式の立て看板で撮った写真が、SNSにアップされているのを見ながら、半ば不貞腐れたような気持ちで、友人のほとんどいない自身の高校の入学式へ向かいました。
「私が行きたかったのはここじゃないのに」
そんな思いが頭をぐるぐる回ります。

私の住む地域は公立校志向が特に強く、私立高校であった母校は単願受験の生徒と公立高校を落ちた生徒の半々の学校でした。そのような事情から、私のような葛藤を心に抱えた生徒が多くいるとわかっての言葉だったのでしょう。入学式のあいさつで校長先生はこう言いました。

「私は、君たち新一年生を心から歓迎します。しかし、この中には我が校が第一志望ではなく、他の高校の入試を残念ながら落ちてしまい、入学した人もいるかもしれません。しかし、最終的にここに進むと決めたのは君自身です。今どんなに落ち込んでいたとしても、我が校の生徒としての誇りを持ち、充実した学校生活を送ってくれることを願います。」

新入生450人全員に向けられたことばのはずなのに、私だけに言っているのではないかと錯覚してしまうほど心に突き刺さりました。

振り返ると、これまでの人生で一番になれたことはないかもしれない

第一志望に合格するってどんな気持ちなんだろうなと思います。考えると、これまでの人生で一番を目標としていた時、一番になれたことはなかったかもしれません。
高校受験も大学受験も頑張ったけれど、第一志望校には届きませんでした。部活動でもいっぱい練習したけれど、一番上手にはなれませんでした。頑張るから普通にはなれるけれど、いつも思い描いていた結果とは異なります。結果に落ち込んで自分の不器用さを恨み、そしてそこで諦めてしまうまでが定番の流れです。

しかし、校長先生の言葉を聞いた時にゴールの先に続く道が見えたような気がしました。マラソンで一位になれないと決まった時に棄権して次のレースでやり直す選択肢も、人生にはあると思います。高校受験でいえば(あまりないケースではあるけれど)、浪人して来年受験することもできたはずです。しかし、私はそれでも二位でゴールすると、第二志望校に入学すると決めました。最終的にそう決断したのは私なのです。
でも、その二位という結果の価値を残念なものにするか素晴らしいものにするかはゴールした先の道で決められるのではないでしょうか。

たとえ一番になれなくても、自分で選んだ結果を一番の価値にしていきたい

私は第二志望校に入学したけれど、高校で新しくできた友達と素敵な校舎で楽しい三年間を過ごしました。私はゴールしたその先の道で、二位という結果を素晴らしい価値にすることができたと思っています。

不器用な私はこれからも一番を逃し続けるかもしれません。
でも、一番になれなくても自分で選んだ結果を自身の力で一番の価値にしていきたいです。