大学三年生の冬、友達に言われた一言で視界が変わった。
私はそれまでは友達にはなんでも相談する無邪気な女の子だった。
友だちに助けてもらっていることへの感謝が欠けていた
「模試の結果が下がったの。あー、どうしよう!」
「昨日彼氏が別の女の子と楽しそうに話してたの。大丈夫だと思う?」
「今日はバイトが忙しくて疲れた!」
まるでししおどしがひたすら水を流すように、悩みがある度に絶えず友達に話していた。
大学三年生の冬、そのししおどしは凍った。
当たり前のように友達に部活の相談をしていたところ、急に話を遮られた。
「…ネガティブな悩みばかり言わないで。それを聞いてる私にネガティブがうつるから。」
この瞬間から私の人生の道は急カーブした。不意打ちにグサッと心臓を突き刺された感覚だった。
今までは友達に相談し合うことは友達としてごく当たり前だと思っていた。アドバイスを通して友だちに助けてもらっていることの感謝に私は欠いていた。友達に迷惑をかけていた申し訳なさと情けなさに溺れそうになった。
確かに言われてみれば自分の悩みを人に相談して相手はなんの得をするのだろうか。
友達にもネガティブな悩みは相談しない方がいいのか?
急にわからなくなった。
その日を境に悩みは自分の中に閉じこめるようになった。突如周りに相談できなくなった。ネガティブを大切な友達にうつしたくなかった。
ネガティブなことでも、分かち合えれば軽くなるのでは
それから一年、やがて悩みがたまりにたまっていた。
部活ではチームメイトとの実力不足に悩んでいた。練習量は増やしていたが中々追い付けなかった。チームの足を引っ張っていることで自己嫌悪に陥っていたが、誰にも言うことなできなかった。悔しくて悲しくて孤独で背負っている重りがどんどん増えていった。そしてついに体調が悪くなっていった。
そこで体調という心の叫びが、また私に問いかけた。
「やはり友達には、ネガティブな悩みでも相談してもいいのではないか?」
最近はまた相手の負担にならない程度に相談したいと思うようになった。確かにネガティブな話は時に人の心を重くする。だがネガティブなことでも、分かち合えることで重さが不思議とお互いに軽くなるようにも思う。例えば実力差に悩む同士なら励まし合うことでネガティブはポジティブに変わることもある。人には悩みを聞く余裕があるときとないときもあるのであろう。
助けてくれる友達がいることに感謝をしたい
5年後の今でも悩み相談をする際はあの友達の怒りがエコーのようによみがえってくる。
「…ネガティブな悩みばかり言わないで。それを聞いてる私にネガティブがうつるから。」
ネガティブは本当にうつるものなのか。
未だに疑問が解けないままである。
だが、一つわかったことは、ネガティブな相談をする際は聞き手により感謝と敬意を持つことの重要性。友達が機嫌が悪かっただけかもしれないが、確かに私は相談相手への思いやりに欠いていた。
相談をする際は、助けてくれる友達がいることに感謝を持とうと思う。