「あとで後悔したくない」。それが今の私のモットーであり、原動力でもある。明確にそうなったと自覚しているのは、高校時代の部活動の、あの日からだ。当時3年生で最後の大会まであと1か月を切ったころ、私は誕生日を迎えた。私たちの部活では、帰りの全体ミーティングで誕生日を迎えた人を祝い、祝われた人はなにかひとこと言うというのが恒例となっていた。18歳になりたての私は、みんなの前でこう言い切った。

「あとで後悔したくないので、大会当日までの残り期間、全力を尽くします。」

 もともと負けん気が強い気質はあったが、言語化して自分の口で発した言葉は、さらに自分の気を引き締めた。その後、先輩方から長年受け継がれてきた悲願の西関東大会出場を果たす。そんな甲斐あって、あの日言い放った言葉はのちの私の一部となる。言霊の力には驚かされる。

大学受験での後悔を繰り返さないために、早めに始めた就活準備

 高校時代すべてを部活に注ぎ込んだため、大学受験の準備は後回しだった。今振り返れば、それはそれでいい青春だったと思えているが、当時は「もっと早くに準備にとりかかればよかった…」と後悔していた。そのため、大学進学後は就活準備を早めに始めようと心に決めていた。

 無事進学先が決まり、大学に入学した1年生のころ。私のモットーに反した「進路を早め早めに考え始めること」はずっと頭の中をぐるぐる回って離れなかった。
少しでもそれを取り払おうと、毎年3年生向けに大学で開かれる就活セミナーに、1年生のころから参加していた。いろんなセミナーに参加して話を聞けば聞くほど、自分が何をやりたいのかわからなくなった。それどころか、不安や焦りに乗じて就職にマイナスなイメージを持つようになってしまった。

家族から大きな会社に就職して稼ぎ頭になることを期待されて

 家族からは、大きな会社に就職して稼ぎ頭となることを期待されている。兄いわく、「勉強が得意で名のある大学に通っているお前しか、大企業は狙えないんだから」とのこと。(先述の通り、大学受験にいわば失敗しているため、今通っている大学も好きだが少なからず劣等感を抱いていることは知る由もない。)

 私の性格上、大きな組織の歯車になり、お上のためにせっせと働くことはあまり好きではない。自分の行った仕事の成果が、自分の目で確かめられなければ。自分が誰かの役に立っていると、直接実感できなければ。そこに私のやりがいは生まれない。「あとで後悔しない」最善の選択をするために、自分の思いと周りが期待していることの間にあるギャップをどうすればいいかを考えに考えすぎて、私はもうパンクしていた。

 そんなもやもやをこじらせていたある日、これまでになく「やってみたい!」とはっきり思えた職業に出会えた。その職業なら、私の求めるやりがいを必ず叶えられると確信があった。だけど、ボランティア精神が大きな比重を占めるため、はっきり言って待遇はあまりよくなかった。家族に打ち明けると、「食っていけなきゃしょうがない。もっと現実を見ろ」と言われる始末。

 なんで気遣って言いなりにならなきゃいけない?
 なんで自分で自分の生き方を決められない?
 なんでこの世の中は、学歴がないと挑戦する出発点にも立てない?

…いろいろな方面に向けていろいろなことを言いたいが、実際にそうできる勇気も強さもない私はぶつけどころがなく、もうどうすればいいのかわからなかった。

大先輩に胸の内を話したら、こびりついた悩みが一瞬で消え去って

 そんな中、私よりも一回り以上年上の、人生の先輩方とお話させていただく機会があった。溜まりに溜まった胸の内を、正直に話した。
 すると、ある方は「僕もその仕事に興味があって、本当は挑戦したかったんだよね」と話してくれた。またある方は、「若いうちにしかやりたいことに挑戦できないんだから、絶対今やった方がいいよ」と背中を押してくれた。ご結婚されて、お子さんの相手をする片手間に話を聞いてくださった先輩方の言葉には、ずっしりと重みがあった。そう言っていただけただけでもだいぶもやもやが昇華されたが、理想論だけではどうにもならない問題が、まだ頭の隅に居座っていた。

「やりがいと安定、どっちを優先させるべきなのでしょうか。」

 大先輩は、丁寧に答えてくださった。
「僕は今安定を選んで大手企業に勤めているけど、結局どっちの道に進んでも絶対後悔はすると思うんだよね。やりがいを選んでも、あとから『安定を選べばよかった』って思うだろうし、安定を選んでも、『やっぱりやりたいことをやればよかった』って。どっちみち後悔するんだったら、自分のやりたいことに挑戦してみた方が、気持ちが楽なんじゃないかなぁ。」

 目から鱗だった。こびりついてどうにもならなかったコゲのような悩みが、一瞬で成仏した。今まで見たり聞いたりしたどの就活アドバイザーの言葉よりも、説得力があって肩の荷を下ろしてくれた言葉だった。
そっか、絶対にあとで後悔しない最善の選択なんてないんだ。どの道を選んでも後悔は必ずついて回って、でもそこでどう感じるか、どう切り拓いていくかは、そのときの自分次第なんだ。

 18歳になったあの日に発した言葉は、私を鼓舞してくれたけど、私を縛るものでもあった。それでも、「あとで後悔したくない」は、きっとこれからも私のモットーで、原動力であり続ける。最善の選択をできるように努力はするけど、またパンクしてコゲを作らないように、適度に肩の力を抜いていこうね、わたし。