私は映画が好きだ。

高校二年生くらいから、学校が早く終わる日などは制服のままミニシアターに行って、映画を観ていた。同級生に誰もそんな人は居なくて、そんな自分がかっこよく思えたものだった。

平日午後のミニシアターには定年退職したおじさんか、仕事をフラッと抜けて来ちゃいましたみたいなお姉さんしか居なくて、そこが妙に心地よく感じて、そこで上演される、よく分からない映画たちを観ては半券をしっかり持ち帰り、自慢するようにノートにペタペタ貼っていた。

映画制作の学校に進学。依然、ミニシアターの主人公気取りで生きていた

ミニシアター系の映画に出てくる主人公たちは往々にして気怠く、やるせなく、太陽というよりは月みたいな存在の人たちで、彼らは心に絡まる悩みと付き合いながらも最終的にはほんの小さな幸せを手にして微笑んでいるように見えた。

何者かになりたいけれど、なれない自分がもどかしく、そんな気持ちをミニシアターの主人公たちに重ねていたのかもしれない。

そこから数年。なんと、私は映画を作る側に回っていた。

映画制作を学べる学校へ進学したのだ。その中でもシナリオを書くことが好きになり、自主的にもよく書いていた。シナリオは映画の設計図とされていて、映画がどこへ向かっていくかの基準になる。

つまり、何を大切に想っていて、どういうメッセージを込めたいのか? が重要になってくる。

シナリオの授業を受けて、先生に見てもらう。ろくに箱書きやプロット作りなんかせず、思いついたままに書いていた。依然ミニシアターの主人公気取りで生きていたので、心の中のぐちゃぐちゃを提示すれば映画になるだろうと思っていたのだ。

その時の私の大切なものはやさぐれた感情だった。そういうややこしい物を映画という形で提示したいという自己満足の塊である。

同級生より一歩先に大人の階段を登っているとばかり思っていた

○ゼミの教室
 感想を心待ちにしている私、先生と向かい合って座っている。
 私のシナリオを読んだ先生、メガネを外し、ため息をつきながら

先 生「うーん。あのね、貴方が思ってるよりもずっと、人は“愛だの恋だの”とか“勇気”とかに心震わすんですよ?」

 私 「……はい?」

先 生「実は人ってとっても単純なんです。斜に構えすぎ。あと」

 私 「え、あと……?(瞳を揺らしながら)」

先 生「男を書けていなさ過ぎる」
 
 私、口をポカンと開けてその場から微動だにしない。

「はいカット」

そこに居たのは、中高生の青春を上手く謳歌せず、若さの無駄遣いをして、背伸びばかりしてきた自分だった。

高校生からミニシアターに通い、同級生より一歩先に大人の階段を登っているような気がしていたのに、なんとその実、空っぽだったのだ。

嘘でしょ!? 青春、しなきゃダメだったじゃん!

知識がない、世間も知らない、親のお金で行きたい学校に行き、ろくなバイトもせずに学びたいことを学べていた。それが当たり前だと思っていた。

でもそこで得た平均点の勉学の知識は映画作りにはほとんど役に立たなかった。必要だったのは、どれだけ能動的にサバイブして生きてきたかだったのだ。ただ流されるがままにみんなと同じ授業を受け、なんとなく部活をしていた受動態の自分というのは透明人間のようなもので、シナリオの用紙を前にすると居ないも同然だった。

この時の私は呆然とするしかなかった。
嘘でしょ? 人って、そんなことが好きなの? 愛とか恋?

だって、私は青春を謳歌している同級生たちを横目に見ながら、自分はそこに参加出来なくて、ただ時間を無為に過ごしていたのだから。

私だって夏祭りに浴衣を着て出かけたかったし、恋人と手を繋いで下校したかった。バレンタインにチョコを作るワクワクの儀式に参加したかったし、運動部の彼の試合を応援したりしてみたかった。

私の人生に男性はほとんど登場していなくて、舐めたら飴ちゃんくらい甘いんじゃないかって位純度の高い女の子だったのだ。

コロコロと彼氏を変えていく友人の姿を見ていて、そういうの、羨ましくも全部不純なものだと思っていた。映画を描く時に大切なのが“愛や恋”、”勇気”の話だなんて、そんなの聞いてない。そういうセンテンスは自尊心が高い私にとって、最も眩しく、最も目を逸らしたいものだったのに。

そんな少年ジャンプみたいなテーマ、映画にも大事だったの?

頭を殴られた位衝撃的だった、映画の中で生きていた私が崩れ去っていく。
現実という地に足をつけろと、先生に引きずり降ろされていく。

嘘でしょ!? 青春、しなきゃダメだったじゃん!

この時、既に二十歳。高校の制服はもう着れなかった。

三十を目前にすると、ミニシアターに通っていた自分だってちゃんと青春していたと抱きしめてあげたくなるのだけれど。でもそれもあの時の私がいるからこそ。現実世界に引きずり降ろされてから、やっと私は愛だの恋だのと向き合って、沢山の勇気を振り絞って生きるようにしたのだ。

とはいえ、今シナリオが上手く書けるかと言えばまた別の話なので、映画の神様は本当に意地悪である。