昨今、いわゆる同性愛・無性愛等の性的自認、自由は遅れに遅れを取ってきた日本でもようやく少しだけ地位を築き始めていると思う。LGBTQ+という言葉もある程度広まり、性の自由は特に若者を中心に理解され始めた。
しかし柔軟なはずの若者でも、まだ好奇の目を向ける者も少なくないのも事実であろう。実際、わたしの旦那も実の母も、それに全く理解がない。例えば、Gであることを公表したり、晒されたりする芸能人に侮蔑の目を向ける。
自分と違うものを受け入れることはなかなか難しいようである。
私はLGBTQの当事者じゃないから、彼らの気持ちはわからない?
わたしはLGBTQではない。戸籍・自認ともに女で、恋愛対象は男。きっとわたしには、当事者の思いなどわからないのだ。どんなに寄り添う気持ちがあったとしても。もっと平等に生きやすい社会になってほしいとどんなに願っていても。
そして、日頃そう思っている27歳の大人のわたしですら、例えば、突然知り合いから面と向かってカミングアウトされたとして、“正解の反応”をできる自信はない。気持ちを瞬発的に伝えられる気がしない。
18歳、田舎から出たばかりの小娘には尚更のことだった。専門学校に入学してすぐの懇親会で仲良くなった準ちゃんという同期がいた。準ちゃんは大きい身体と金髪と髭がトレードマークのいかつい見た目をしていたけど、話すとお茶目でかわいい人だった。
準ちゃんは懇親会の間、ことあるごとに隣の席のわたしに「おれんち来る?」など軽い口説き文句をかましてきた。もちろんそれは、その席でのノリのようなもので、わたしが「え~~どうしようかな~」と照れて周りが「リリイを狙うな!」「気を付けろ!」とみんなで笑うところまでがセットだった。
懇親会のおかげで楽しく始まった学校生活。わたしと準ちゃんは学科が違っても仲良しだった。とある日の放課後、ふたりでカフェでお喋りをしていたとき。
「ゲイなんだ」とカミングアウトした後、準ちゃんは学校に来なくなった
「…おれさ」
店の場所も、頼んだものも覚えていないのに、その一瞬の奇妙な沈黙の空気感、その肌ざわりだけを覚えている。
「ゲイなんだよね」
対する自分の返答も、覚えていない。それくらいわたしはたぶん動揺した。当事者に会うこともカミングアウトされることも初めてだった。もちろん、否定的なことを言ったりしたつもりはないけど、果たして正解の反応をできたのか。そこから帰るまでの記憶もない。
カミングアウトされたあとの数日間、関係は変わらなかった。
けれど、準ちゃんは学校に来なくなった。最初はよく「来ないのー?」って連絡取ってた。「寝坊した」「ありがとう」とか、返信はちゃんときていた。わたしも他の友達がいるし、学校は忙しくなっていく。いつしか連絡を取らなくなって、準ちゃんの名前は学生名簿から消えた。
同い年の男の人にしては少し大人だった準ちゃんは、同じ学科の子たちとは仲良くなりきれていなかったようだし学校が合わなかったのかもしれない。
でも9年経った今も、もやもやと毛球のようにつっかえるのは、たぶん、自分のせいかもしれないという罪悪感。
正解はわからないけど、今なら準ちゃんをわかってあげられたかも
大人になって思えば、準ちゃんが大人びてみえたのは、わたしには想像し得ないような苦労をしたり、知らない世界をみてきたりしたからだったのかもしれない。懇親会で女性を口説く素振りを周りに見せたのはカモフラージュの為で、無理していたのかもしれない。
カミングアウトしてくれたとき、わたしの反応をみて「やっていけないな」と思ってしまったのかもしれない。わたしがもっと寄り添えられたら、準ちゃんの学生生活・人生は、変わっていたかもしれない。すべて「かもしれない」としか言えないほどに短い付き合いだった。
何せ子どもだった。今も正解はわからないけど、君にごめんねと言うことができるくらいには大人になった。
お元気ですか。未熟でごめんね。しあわせになれましたか。