2020年はまるで何事もなかったように、コロナ騒ぎで終わった感じだ、と多くの人が言いそうだ。わたしもそうだ。しかし、そうでもないようだ。私はブログに日記を書くが、2020年の日記を振り返ってみると、とても多事多難だったなと思った。例えば、日本に来てから3年目、コロナ禍で、母国にいる期間が長くなり、将来、日本にずっといられるか悩み始めた。それと同時に、ある人に傷ついて、逃げるように離れて来た韓国。私は何を期待してここに来たのか。

自分は変えられる。避難するように来た日本で、私はそう期待した

避難のように来た日本。日本に来るとき、私が期待したのは、自分は変えられるということ。大きな勘違いだった。自分がこんなに不幸で、憂鬱な人生を送っているのは韓国のせいだと思ったのは。

はじめて日本に来た時はすべてがよかった。すべてが不思議でわからなくて、もっと知りたくてたまらなかった。自分を知らない人ばかりの世界。これまでの人生をリセットして、新しい人生を送ることができるという予感。

2年目、まだまだ日本が好きで、母国に帰りたくなかった。海外で私が生き延びていて、日本の文化が慣れてきて、どんどん馴染んでいくことがすごくよかった。しかし、私が望んでいた未来ではなかった。日本に来るとなにか変わると思ったが、そうでもなかった。

3年目、懐疑心を抱きつつ、私はまるで別人のように学業充実していて(韓国の大学では勉強もせず、学校にも行かず、そのため成績はいつもCCCだった)、サークル、ボランティア活動など、課外活動もいろいろしながら、アルバイトにも夢中だった。姉は、お前なんでそんなに頑張ってるの? 韓国ではそうしなかったくせにと皮肉を言ったし、親は自分を「バイトの神」とも呼んだ。ハハハ。

なにも願わないようにしたけれど、一つだけ捨てられないある種の希望

2021年になって何が違うのか? 私がうつでないこと。わたしの愛する人たちが健康で幸せでいられること。私がもっと頑張ること。もう現実から逃げないこと。私が願うのはこれらだけだ。でも、これらが叶うためには何をしなければならないのか? 頑張っても願う通りにはいかないだろう。私はもう、なにも願わないようにした。しかし一つ、一つだけは捨てられないある種の希望のようなものがある。

2021年は海のような人生であるように 。 海。 私には海が大切でそして痛い。

コロナにになって久々に韓国に来た私は、今まで会えなかった友達に会った。一人ひとり会いながら感じたのは、お互いさらなる苦しい人生を送ってきたな、みんなかろうじて日々を過ごしているんだ、と感じられた。

韓国の海雲台(海)を見ながら、我々の人生が海のようになりますように・・と。私たちは悲しいとき、嬉しいとき、感銘を受けたとき、そして言葉にできない感情を感じたとき泣いてしまう。泣くと、自分をくるんでいた感情から抜け出すことができる。それは、涙がその感情を流してしまうからのではないか?その意味で、海と涙は似ていると思う。

いつかしら、海を見て、もう少し生きてみようと思った自分のように

海は潮がさしてから、潮が引いていく。波が押し寄せてから、なにもなかったように波がひいていくけど、じっとりぬれた砂が残っている。跡を残すんだ。まさに人生が海なのではないだろうか。

海には心に響く何の力があると信じている。海を眺めていると、今までの自分とこれからの自分を考えるようになる。いつかしら、海を見て、もう少し生きてみようと思った自分のように。私たちの人生も涙のように、海のように、流すことができるように。

苦しい記憶も、痛い記憶も、海の前では、あの水勢で洗い流されるようだ。そうなればいいのに。あなたはそうなれますように。そうできますように。