ごめんね。と謝るなら、私は、私に謝る。でも、今までの人生を振り返って、謝る他人が浮かんでこないような自分が、何となく嫌いだ、とも思う。

5歳の時の夢はネイルアーティスト。母の反応を見て以来言わなかった

 まず謝る私は、5歳の時の私である。それは、幼稚園の保護者会で将来の夢を話した時だった。
 私はプリンセスが大好きで、キラキラしたものがとにかく好きだった。今思えば、なぜそれを知っていたのかわからないが、ネイルアーティストになりたいといった。でも、母が、そんな、恥ずかしい。といった。
 なんでネイルアーティストが恥ずかしいのかわからなかったけど、母の顔色を読みとる私はそれ以来、ネイルアーティストになりたいとは言わなかった。初めて憧れのジェルネイルをしてもらったのは、それから15年後、20歳の時だった。
 ごめんね、5歳でそんな母親の顔色を窺わなくてよかったのにね。そんなこんなで、将来何をするか、考える時に、この思い出がその後もよぎるのであった。

13歳の時の別れ話。彼の顔色を窺わず、泣きわめけばよかった

 次に謝る私は、13歳の時の私である。それは、初恋だった。
 小学生のころは男子に交じってドッチボールをすることが生きがいであった私は、男子=ドッチボール友達だった。でも中学生になって、恋愛ソングを聞いて、友達の恋愛話を聞いて、LINEをインストールして、そこで初めて、ある男の子に恋をしたのだった。
 初恋はうまくいかない、とは習ったが、告白したら、うまくいった。でも、2か月くらいして振られた。別れ話をされた時、私は「でも、私がここで別れたくないって言ってもその考えは変わらないんだよね?」と聞いた。
 何やってるんだ、大人の不倫の別れ話でもあるまいし。13歳らしく泣きわめけばよかった。ごめんね、また、彼の顔色を窺ってしまった。もっと素直に感情の表現できる人間だったらよかった。ちなみに、今私は20歳。この13歳の初恋を最後に、恋をしていない。感情の表現の仕方が今も分からないんだ。
 最後に謝る私は、18歳の時の私である。将来の夢をあきらめた。
 実はそんな幼稚園生活を送ったあと、中学受験、高校受験をして、学歴を意識する人生を歩んでいた。そのため、私の夢は医者になることだった。でもこれは、中高の6年間、割と本心だった。私より勉強のできる人はもちろんいたけど、人のことを思うこと、に人よりも長けていると感じていたから、医者に向いていると思った。

5歳の頃に感じたようなキラキラを何かに感じたら絶対に追いかけたい

 でも、ある日塾の先生に言われる。「あなたじゃなくても医者にはなれる」と。
 そこで私は6年間持ち続けてきた医者の夢をあっさり手放した。私は、何のために必死に生きてきたのかわからなかった。ごめんね、あんな最低な教師の言うことなんか聞かなければよかった。
 結局、高校生活で維持してきた成績のおかげで指定校推薦を利用して、名の知れた大学に入学した。両親に塾の先生の言葉で医者をやめたことは今も言えてない。大学に入学したものの、何をするのもやる気がない。大学生になるのを夢見て真面目にひたすら勉強をしていた、あの頃の自分、ごめんね。そうだ、私今、夢がないんだ。結局、見つけられなかった。5歳のころの呪いは今も解けないのである。
 他人から言わせれば、私の人生は、学歴ともに申し分ないと称賛される。
 でも、私は、好きなものはこれだ、夢はこれだ、と意気揚々と話すあなたが羨ましくてたまらない。だから私は、私の人生を私の感情で歩いてこなくて、ごめんねと私に謝る。
 でも、私は一つ決めたことがある。それは、これからの人生で、あの5歳の頃に見たネイルアートのようなキラキラを何かに感じたら、それを絶対に追いかけるということである。
 30歳になったときに、20歳の自分に謝らないような人生を送る。今日で、自分に謝るのをやめよう。私は、私の感情で、生きていくのである。