人に褒められたい、認められたい、喜ばせたい――。誰かの期待に応え続けること、つまり“いい子であり続けること”、それが私の生き方だった。そんな私に、大切なパートナーがくれた一言が、自由を与えるきっかけとなった。
「君は“ただいてくれるだけ”でいいんだよ」
それは、今まで張りつめてきた心をとかす一方で、今まで築き上げた生き方についての価値観を変えるといった試練を、私に与えた。
大人の顔色ばかり気にしてきた。祝福され、幸せになれると思った
思い返せば、物心ついた頃から大人の顔色ばかり気にしていた。本当に好きだったことは、絵を描くことや物語を考えること、お菓子を作ること。絵を描いてコンクールで受賞したり、自分の作ったお菓子で大切な人が笑顔になってくれたり、それらは私にとって何よりの幸せだった。でもそれ以上に、両親や親戚、先生が一番褒めてくれること、喜んでくれることは、勉強でよい成績を修めることだった。
「パティシエがいいかな?それとも絵描きになろうかな?」
中学校への進学を間近にした私は、少し自分の気持ちを表現してみた。
でも「今まで勉強頑張ってきたんだから、もっとその知識が役に立つ仕事、たとえばマスコミ関連とか向いてると思うな」。そう大人たちに勧められ、勧められるままに、これこそが私にとって目指すべき道だと信じた。
それからさらによい成績を修められるよう必死に勉強し、高校は進学校、大学も有名私立大学へ進学した。ストレートで卒業し、念願かなってマスコミの世界へ飛び込んだ。両親も親戚も先生も、たくさんの大人たちに祝福され、これで幸せになれると思っていた。しかし、その幸せは束の間だった。
全ての期待に応えることの難しさという壁にぶつかった
就職して私は営業の部署に配属された。会社のサービスの存続をかけてスポンサーを獲得するその仕事は、時に会社の期待に応える一方でスポンサーの期待を裏切ってしまったり、はたまたその逆の結果になることもあった。報道の現場などでも、1つのニュースが誰かのためになる一方で、誰かを傷つける、そんな場面を数々目にしてきた。全ての期待に応えることの難しさという壁にぶつかった。私は、“いい子であり続けること”に挫折した。それと同時に、いい子でない自分の存在意義が分からなくなった。
そんなときに、唯一自分の弱さをさらけ出せた相手が、今の私の大切なパートナーだった。彼は、私にこの言葉をくれた。
「君は“ただいてくれるだけ”でいいんだよ」
安堵と戸惑いの表情を浮かべる私に、彼は続けてこう言った。
「君の周りにはいつもたくさんの人がいて、みんな楽しそうな笑顔を浮かべている。そんな空間を作り出す君の人柄は、何よりの宝物だと思うんだ。だから君はいてくれるだけでいい。君が心から楽しいと思うことをやっていれば、きっとそこにはたくさんの笑顔が生まれるはずだよ」
私にしかできない、好きなことを見つけてたくさんの人を幸せにしたい
彼の言葉に後押しされて、私は退職を決めた。たくさんの期待を裏切ったことは言うまでもない。だからこそ、私にしかできない、私の好きなことを見つけてたくさんの人を幸せにしたい、そう願って日々自分の生き方と向き合っている。
今は縁あって、昔から好きだった“食”の魅力を伝える仕事をしている。時には料理のレシピを考え、時には食べ物に関する物語を作る。プライベートでは、趣味で絵を描いたり、今日も思いのままにエッセイを書く。今年の目標は絵本を描くことだ。
こうやって今では自分の意志で目標を決め、それに向かって努力できる。でも、覆されてまだ間もない生き方についての新しい価値観は、未だに定着していない。小さな目標を1つずつ実現していく中で、いつかちゃんと「私は私である限り大丈夫」と、胸を張って言える人になりたい。その時初めて、彼がくれた言葉にふさわしい私になれると思うから。