「みのりさんがどんなに頑張っても変えられないことは世の中にはたくさんあるから、今は流れに身を任せてみては。」これは私が壁を乗り越えるきっかけになった言葉です。

勤務していたNGOが資金不足により突如として解散の危機に陥り、苦渋の決断を迫られた

2年前、私は南太平洋に浮かぶフィジーという島国で、小学生に文具や制服などの配布活動をしているNGOに勤務していました。リゾートのイメージが強いフィジーですが、そんな一面とは裏腹に、文房具が買えずに学校に行くことができない子どもたちが大勢いるのが現状です。そこで私は、支援を申し込みに来訪する方の対応と、個人データの処理を任されていました。英語が苦手な私でしたので、現地の方々と一緒に働くことは容易なことではありませんでしたが、熱意とボディーランゲージのみでなんとかコミュニケーションを取っていました。南の島の人達は、みんなマイペースにのんびり働き、いつもニコニコ大きな体を揺らして笑います。不満があるとすぐに不機嫌になりますが、それでもランチタイムには青空の下、みんなで持ち寄りのお弁当を広げます。私はそんな天真爛漫な同僚たちが大好きでした。

活動を始めて半年が過ぎた頃、資金不足により勤務先のNGOが突如として解散の危機に陥りました。それは、同僚たちと終業後や休日に一緒に遊びに行けるような仲になって、信頼関係がようやく築けてきた頃のことでした。数人のみで運営されている小さなNGOでしたので、活動資金が足りなくなるもの無理はありません。
しかし、異国の地で戦う私にはその団体で頑張ることこそが全てで、そこで成果を上げることに執着していました。

このとき、私には2つの選択肢が与えられました。
他の団体に移籍する、または現勤務先の解散を見届ける。私がフィジーで活動できる期間は2年間と決まっていました。そのため、『残りの時間が少なくなる前に、満足のいく活動ができる場所で働きたい。』と思う一方で、『せっかく仲良くなった仲間や団体を見捨てたくはないし、移籍をしたらまた一から人間関係を構築しなければならない。』と思うと辟易していました。どちらを選んでも素直に喜べるのだろうかと疑問の残る苦渋の決断を迫られました。

上手くいかない現実。早く日本に帰りたいとさえ思う頃、友人からのメッセージが届いた

かつて日本で勤めていた金融機関を退職し、いざ!この国の人々のために!と意気込んで日本を飛び出してから半年間、ガムシャラに働いてきたところでのこの出来事です。
フィジーの子供たちのために働きたい、この団体を立て直したいと熱い思いを持っていた私は、上手くいかない現実に、なんだか急にこれまで取り組んできたことがどうでも良くなり、早く日本に帰りたいとさえ思いました。そんな時、同じようにベトナムで働く古くからの友人から励ましのLINEが届きました。「みのりさんがどんなに頑張っても変えられないことは世の中にはたくさんあるから、今は流れに身を任せてみては。」加えて、「今日が常に人生で一番若いんだし、何につけても遅すぎるなんてことはない。」とも。

ぼーっと海を眺めながら明日を憂いているときに受信したこのメッセージを読んだときの安心感と脱力感は、今でも忘れることができません。当たり前に分かっていたようなことでも、視野が狭くなっていた私は世紀の大発見をしたような気分でした。私がどんなに気を揉んで悩もうとも、力が及ばないこともあるのです。団体の解散もやむを得ないことなのかもしれない。名残惜しさはありますが最後を見届け、新しい職場への移籍はそのあとでも遅くないということに気づかせてもらいました。

「何を始めるにも人生で一番若いのは今日」これからも素直にチャレンジしていきたい

その後、5か月間に渡り残った職員と共に残務処理を行い、最後の悪あがきとして広報活動も行うことにしました。活動の結果、いくつかの企業から寄付金をもらうことができました。そのおかげで、翌年度も子どもたちに文具の配布をすることができるだけの資金が集まり、団体の復活が決定しました。忙しい毎日ではありましたが、大好きな同僚と同じ目標のために一緒に仕事ができる喜びを噛みしめながら、新たなスタートを切ることができました。新しい勤務先へ移籍する決断をしていたら、こんな幸せを感じることはできなかったのではないかと思います。

帰国した今でも、友人がくれたこの言葉は私の励みになっています。もう28歳になりますが、来年度から仕事の傍ら大学のコースを受講することにしました。何を始めるにも人生で一番若いのは今日。これからも、やりたいことに素直にチャレンジしていける人でありたいと思います。