ポジティブでストイックに努力する自分が好きだった

私の家族は稀に見るポジティブ家族で、私は生まれた時からとにかく褒められて育った。

両親は熱血タイプだから、私がやりたいと言ったことは全て全力で応援してくれた。私は、両親の血を受け継いだのか、やると決めたらストイックに頑張るタイプだったから、大抵のことはできた。どんな時もどんな状況になろうとも「なんとかなる」精神からど根性が生まれて、どんな困難も明るく前向きに乗り越えてきた。

だからこの私、スーパーポジティブストイック女が出来上がった。友達に会えば「一緒にいると私までポジティブでいられる」「私も頑張ろうと思える」と言われるし、私自身「ポジティブ」で「ストイック」な自分が好きだった。

でも、いつしか「スーパーポジティブストイック女」の自分が、重荷になっていた。

「頑張っててすごいね」と言われると、ノルマを達成しているような気分に

私は実家を離れ、一人暮らしを始めた。いつも近くで応援してくれていた家族は当然いないし、学業や友達づくりに加えて、料理や洗濯などの家事もしなければならない。急に心細くなった。

大学の同級生は私よりも遥かに勉強ができるし、いろいろな活動に積極的に参加していて、キラキラ輝いて見えた。それでも私は「なんとかなる」と、周りの同期に負けないように必死に食らいついた。周りからそれを気づかれないように、少しだけ理想の自分を演じたりもした。

すると例の如く友達からは「頑張ってて偉いね。すごいね」「いつもエネルギッシュで〇〇見てると元気もらう」と言ってもらえて、私は安心した。同期のみんなより実力は劣っているけれど、これまでどおりポジティブにストイックに乗り越えられているのだと思うと、自分のノルマを達成しているような気分になった。同期のみんなに食らいつくために必死で頑張った結果、それなりの成績はとれたし、これで家族に自信を持って話せる、と少しだけほっとした。

しかし、私はこの頃から理想とする自分の姿と現実の自分の姿とのギャップに疲れ始めていた。

努力をしても「なんとかなる」と思えなくなってしまった

留学先を決める英語の外部試験のための勉強をしていた時の話。留学には学部留学と語学留学があって、どちらに進むかはテストのスコア次第だ。同期のみんなは最初のテストで合格スコアを獲得して、留学準備に入っていた。

学校では、みんな学部留学をするよね、という空気が流れていた。しかし私は同期のみんなのように英語ができるわけではなかったから、最初のテストでは合格スコアに満たなかった。だから私は「なんとかなる」と自分を信じて、もう一度テストを受けることを決め、ストイックな生活を始めた。

睡眠時間は4時間、ご飯を食べる以外は勉強をして、バイトで稼いだお金で英語の塾にも通った。それでも英語が上達しているという実感は感じられなかった。やれどもやれども成長している気がしなかった。これまでの私なら「なんとかなる」と思っていただろうけれど、当時の私は「もうダメかもしれない、やっても意味がない」とネガティブな気持ちであふれていた。

いつも応援してくれていた家族、やる気の源だと言ってくれる友達のことを思うと、本当の自分を知るのがとても怖かったし、苦しかった。

「なんとかなる」と「なるようになるさ」は似ているけど全然違う

最後のチャンス、テストの1週間前の夜、ケータイがピコンとなった。母からだった。

「なるようになるさ」

私はこの一言に涙がとまらなかった。母は続けて「人生、思い通りにならないことなんてたくさんある。〇〇はもう十分頑張ってるから、今自分ができるだけのことをやったら後は天に任せて。もう少し自分の人生を楽しみなさい」と言った。私はその時初めて「なるようになるさ」という言葉の意味を理解できたような気がした。

限界まで頑張っていた私にとってこの言葉は薬のようだった。私はハッとした。

人間誰しも常にポジティブではいられないし、ストイックに頑張るにも限界がある。それが普通なのに「なんとかなる」と自分を見失っていた。自分を認めるということができていなかった。

「なんとかなる」と「なるようになるさ」、この二つの言葉は似ているようで全然違うような気がする。「なんとかなる」は背中を押してくれるポジティブな言葉だけれど、突っ走ってしまってSOSのサインに気づけないこともあるのだと私は気づいた。「なるようになるさ」と思えた時は、自分がやり切った時なのだと思う。

その日から私は「なるようになるさ」と、自分のペースで、失敗した時も成功した時も、どんな時でも人生を楽しめるようになった。