子どもの頃に憧れたのは、戦士だった。
特技はクラシックバレエ、努力した分周りとの差が明らかになっていく過程が楽しかった。どんなことも、自分ひとりで頑張っているし、頑張ってきたという自信が自分の芯にあった。将来の夢は「世界中のさまざまな環境で暮らすこと」、海外出張や赴任を見込める仕事だけにフォーカスして就職活動も行った。

そんな自分が結婚し出産する未来は、微塵も想像していなかった。
プロポーズされた時に抵抗が一切なかったと言えば嘘になるが、それ以上に今まで経験したことのない強烈なアプローチに心動かされ交際から結婚まで流れるように進んでいった。それでも「子どもを産む」という選択には強い抵抗があり、結婚前後に何度も「子どもを産む気はない」と断り続け、念を押し、義母にも理解をえた上での結婚だった。
結婚くらいなら、まだ大丈夫。旅の相棒を得たと思えばいい、男の人が一緒にいた方が都合の良いこともある。そう思って始めた結婚生活が半年経った頃、妊娠したことに気が付いた。

子ども好きの夫が産まない選択肢を真っ先に提示した 罪悪感が襲った

夫、喜んだものの私の気持ちも考え産まない選択肢を真っ先に提示してくれたが、子ども好きの夫にそこまで言わせてしまった罪悪感が私を襲った。そしてなにより、検査薬にくっきり浮き出た縦線を見た時に気持ちがふわりと浮かんだ自分に動揺していた。2人で話し合った結果は、「産まれたいとこの子が願うのであれば、その手伝いをしよう」という運任せの様なものだった。

それからの日々は、初めての妊婦ライフに向けて調べものをしては2人で共有し、準備を進めていくのに夢中になっていった。ふと我に返ったのは、つわりが辛くなってきた頃の入浴時間。やっとの思いで昇進したばかり、これから海外へ飛び出していけるかもしれない期待は萎んでいた。女性の既婚者しかも子持ちで海外出張は、まだ可能性があるかもしれなかったが、新型コロナウイルスの世界的蔓延により海外出張は大幅に減らされる見込みだった。
「お先真っ暗」の言葉がずっと頭にこびりついて離れない。いつの間にか、入浴時間が涙を出す時間になっていった。友人達のグループラインに弱音を吐いたのも、今までの自分らしからぬ行動で、そんな自分にもひどく嫌気がしていた。

常に誰かが自分の背中を支えてくれていたことにハッとさせられた

「大丈夫、きみはいつだって高い壁を乗り越えてきたんだから。道なき道を、かきわけてきたんだから。」と友人の1人が言った。


自分はずっとひとりで戦ってきていたと思っていた私には、衝撃だった。誰にも弱音を吐いたつもりはなかったし、頑張っている姿を見せた覚えもなかったのに。気づいていなかっただけで、常に誰かが自分の背中を支えてくれていたことにハッとさせられた。そして、私のがむしゃらに前進しようとしていた姿勢は結果がどうであれ「乗り越えてきた」と見てもらえていたことに心が震えた。
そうだ、このくらいのことどうってことない。チームメイトが増えただけなのだから。チームだからこそ行ける場所、見える世界もあるのだから。
きっとこれからも、何度も苦しい時が訪れるだろう。けれど私は彼女の言葉と、今までの自分のがむしゃらな日々を思い出して勇気を得ていけると思う。そうしていつか、誰かが諦めたくない夢を、諦めなくて済むように、歩きやすい道のりを作っていけたらと、思うのです。