今の時代ではそんなに珍しくないことかもしれないが、交際していた頃から結婚した今でも、私は夫より仕事が忙しい。泊まりがけの出張もあれば、急な残業も毎日のことだし、基本的に定時で切り上げることが当たり前の夫より帰りが遅いのは、どうしようもないことだった。
「女だって働いていつまでも輝いていたい」。夫のプロポーズに、仕事が楽しい私は迷った
一方で、私たち夫婦は専業主婦の母が激務の父を支えるという、言ってみれば昭和的な形の家庭に生まれ育った。料理や掃除、買い物、義父母の介護に至るまで、全ての家事をキッチリとこなしていた母。
また、家族に何一つ不自由のない暮らしをさせてくれた父。そんな二人の姿を見て育った私には、何となく「女たるもの家庭に入れば第一に家のこと」という固定概念が頭に染み付いていた気がする。
だが、就職後に配属された企画部の仕事があまりに楽しくて、忙しさが苦にならない程に毎日が充実していた私は、次第に自分が家庭に入るというイメージが湧かなくなっていた。
否、イメージしたくなかっただけかもしれない。もしかすると、母を見ていた反動から来たものかもしれないが、「女だって働いていつまでも輝いていたい」という気持ちが強くなっていたのだ。
だから、当時24歳だった同い年の夫のプロポーズに対し、素直な喜びより迷いの方が先に生じたのは自分としては仕方のないことだった。
「俺たちの夫婦像は俺たちが作ればいいんだよ」。言葉通り、夫は率先して家事をこなす
「今のペースで仕事と家事を両立できるのだろうか」
「結婚することで仕事を諦める結果にならないだろうか」
考えても答えは見えず、不安な気持ちに襲われた。
そんな私に彼はこう言った。
「俺たちの夫婦像は俺たちが作ればいいんだよ」
あの時の言葉通り、結婚後夫は率先して家事をこなし、私を支えてくれている。スーパーの特売情報をチェックし、自ら選んだエプロンを身に付けてキッチンに立ち、「おかえりなさい」と私を迎えてくれる。体調の悪い日はお手製の茶碗蒸しと温かいスープを用意し、常に体を気遣ってくれる。男とか女とか、夫とか妻とか、ステレオタイプに自分たちを当てはめることなくお互いを大事にできる夫婦になろうと話してくれた通り、私は夫のおかげで仕事に打ち込みながら、とても幸せな結婚生活を送ることができている。
夫婦の数だけ正解がある。役割分担や形にはまらず、私たちなりの幸せの形を大事にして
あの時の夫の言葉があったから、「女の結婚=家庭」という先入観を飛び越えて結婚に踏み出すことができた。
そして、今の幸せがある。もしかすると、この先子どもができて、私は今のように働けなくなるかもしれない。そうしたら、その時は私にできる精一杯で夫を支えながら、家庭を楽しもうと思う。きっとそう思わせてくれるのは、今の夫の姿を見ているからだと思うのだ。
一方で、私たちを育ててくれた両親たちの夫婦の形を否定するつもりもない。両親のおかげで私たちは幸せな子ども時代を過ごすことができたし、そもそも夫婦の数だけ正解があると思うからだ。
役割分担や型にはまらず、私たちは私たちなりの夫婦の形を、幸せの形を、これからも大事にしていきたい。