高校2年生として最初の登校日。担任発表に不安を抱きながらも、それ以上の胸の高なりを抑えることができず、駆け足で階段を上った。

「なんで?ムリやねんけど。先生なんか担任って認めへんから!」

教室に入るやいなや、発した言葉はそんな汚い言葉だった。

新卒2年目の先生を信頼できないまま、大嫌いな担任との高校生活が始まった

私は、母校の数多いコースの中でも、少し特別視される中高一貫コースに在籍していた。すなわち、学校から期待されているクラスだ。当然、担任には進路に関して頼もしい、ベテラン先生がやってくると予想していた。

一方で彼女は当時、大学生のノリが抜けない新卒2年目のあまちゃん。1年目は隣のコースの教科担当をもっていたため、よく噂は耳にした。「授業中にゲームしても怒られへんかった!」、「授業の半分は、雑談で終わった!」。なんでこんな先生が、よりによって私たちのクラスの担任なのか。呆れと絶望で到底受け入れることはできなかった。

最初のHRの課題は、一年間のスローガンと目標を決めることだった。私たちが決めたスローガンは「サボラナイド」。自分にとって必要がないと決断するのであれば、それはサボりではないから切り捨ててよし。ただし本気になるべきときは、何があっても手を抜かず、全力で取り組む。この日から一年が始まった。

大嫌いな担任との日々は目まぐるしかった。高校2年生は3年間の中でもとりわけ行事が多い。特に力を入れていたのは、秋の文化祭だ。演劇部門優勝の目標を掲げた私たちは、4月から準備を始めた。

先生は私に厳しかった。弱音を吐くと、「苦しい方を選びなさい」

私は人前に立つことが大の苦手だったのに、なぜか主役を担うはめになってしまった。本気で怒ったり泣いたり、恥ずかしくて演技ができない私に、担任は容赦なかった。その態度はいくら上達しようと、いくら私が頑張ろうと同じだった。他の生徒は練習に来ただけで褒めるのに、セリフを覚えてるだけで褒めるのに、私は彼女に褒められた記憶は全くない。毎日毎日苦手な演技の練習の繰り返し。どんなに辞めたくても、教室に掲げられているスローガンを見ると、辞めるという選択はできなかった。

秋に近づくにつれ、私は進路にも本気で向き合わねばならなかった。心から憧れる大学には到底届かない自分の実力。週に一度の担任との個人面談。「さすがに手が届かなさすぎるから、ムリ。諦めたい」そんな言葉を吐く私に、またしても担任は辛辣だった。「苦しい方を選びなさい」。その言葉の意味はあまりわからなかったが、ここで逃げたら担任に負ける気がして、死ぬ気で志望校を目指すことを心に決めた。

そんな私たちと一緒に、担任は誰よりも「サボラナイド」を体現していた。演劇優勝の目標に向けて、スケジュールを立てたり、指導員の方を呼んだり、一人ひとりの台本を作ったり、本番と同じ場で何度もリハーサルができるように鍵を盗んできてくれたりもした。演技練習だけでなく、道具や衣装の製作など裏方の仕事をするときも、職員会議をサボり、いつも手伝ってくれた。

苦手科目の勉強に付き合ってくれた先生。放課後のその時間は苦じゃなかった

相変わらず私にだけ厳しい担任の意図は理解できなかったが、着実に私たちの関係は変わり始めていた。その結果、文化祭では、競合クラスを相手に優勝を果たし、私は進路に向けて、前向きな気持ちで勉強に向き合い始めた。

そして、彼女も同時に勉強を始めた。あいにく私の苦手科目が、彼女の担当科目だったのだ。彼女は受験に本気になった私に、大量の問題集のコピーを渡し、毎日課題を出した。

私は問題文の意味さえ理解できなかったが、毎日根性で提出した。彼女は、そんなはっちゃかめっちゃかな解答に大量の赤ペンを入れ、毎日放課後に解説をしてくれた。ときには3時間以上かかることもあった。でも、お菓子を食べたり、恋バナをしたり、大学生活について教えてもらったりしながら、彼女と勉強する時間はなぜか苦ではなかった。

冬がやってきた。終わりが近づいている感覚に、どこか物寂しさを感じる。でも私たちは、「サボラナイド」の言葉通り、毎日を全力で過ごした。節分の日には教室で豆まきをしたし、雪が降ったら制服がびしょびしょになるまで雪合戦をした。「好きなことしていいよ」と言われたHRでは、ドミノ協会からドミノを2000個レンタルし、1週間かけて傑作を完成させた。もちろん彼女も一緒だった。

先生からの手紙で、厳しさの正体がわかった気がした

高校2年生の最後の日。彼女からもらった日誌風の手紙のこんな言葉に、あの厳しさの正体を理解できた気がした。

「このクラスの担任が決まったとき、真っ先に浮かんだ顔はエメちゃんです。『絶対にイジメられる』なんて震えていました。案の定、クラス発表の時は、人生最大の拒否られる経験をした私は、夜な夜な枕を濡らしたことは言うまでもないでしょう。(略)一緒に過ごした時間は一番長かったね。私がやりたいこと、やってほしいことにいつも全力で取り組んで、一緒に笑って、一緒に悩んで、一緒に怒って、そんな経験をした私は、一年前の私に『エメちゃんはいい子だよ、頑張った分だけ応えてくれるよ!』と教えてあげたいです。」

あの日、見た目や年齢だけで、中身を判断して「ごめんなさい」。全身全霊でぶつかってきてくれるあなたを、私に最大限の愛と期待をくれたあなたを、なかなか素直に受け入れることができず「ごめんなさい」。あれから5年たった今でも、何か嬉しいことがあったとき、悲しいことがあったとき、真っ先に思い浮ぶのは先生です。いつも全力で受け止めて、「期待してるよ」って言ってくれたこと、誇りに思っています。