大学院へ進学した2年前、私はまだ将来の理想像を胸に抱いていた。手が動かすのが好きな私は、化学実験が業務の一部である仕事をしたいと思っていた。

職場は穏やかな環境がよい。休憩時間やお昼休みには、職場の同僚との会話や気軽な意見交換をするのだろうか。最初は仕事に苦労するのであろう。それでもきっと時間がかかってもいつしか自分らしく、ワクワクしながら仕事をこなしていくのだろう。

意気揚々と仕事に打ち込む人になりたい。これがかつて私が夢見た理想の社会人像であった。

今頃「そろそろ会社にも慣れてきた」と笑顔で言う予定だった

しかし2020年冬、私の目の前は真っ暗だった。技術を学び、立派な技術者になろうという目標を抱き、新入社員としてこの会社に入ってから早8か月。「そろそろ会社にも慣れてきた」と笑顔で言う予定だった。

しかし、現実とはままならないもので、現状はかつて思い描いていたものとは正反対なものであった。

例年とは異質な経歴の新人に向けられる空気。もともと男性中心の職場であるからなのか、雑然とした環境の職場。うっすらと漂うたばことコーヒーの匂い。男くささ。

先輩社員とのなかなか埋まらない気まずい距離感。理路整然とした大声の主張が大きな部屋の端から端まで飛び交う空間。安全性のために頑丈に作られてある業務用作業着の重み。そして、私が苦手なものがうず高く積みあがってできた業務という高い壁。

「どうして私はこんなにも上手く話すことができないのだろう」「私ってこんなに神経質な人間だったのか」「先輩や上司の方々も何も知らない不出来な新人がやってきたと思っているのだろうな」と、なにもできない、職場で浮いた自分がとても悲しい。今まで見ないふりをしてきた心のもやもやが一気にあふれ出てきてしまった。

就職活動の時に行った自己分析で見えてこないことが、その状況になって初めて見えてくることもあるのかと、新たな自分の発見に驚くどこか冷めた自分もいた。困った…。どうやったらこの感情をなかったことにできるのだろう。

将来も計画も見えなくなり、自分を「責める言葉」だけが浮かんできた

4月に意気揚々と入社をしたはずなのに、そのときに持っていた将来への期待はすっかりなくなくなってしまっていた。この会社で成し遂げたいことも、自分の将来の計画も、何もかもが分からなくなってしまった。この会社に入社した理由も、ただのはりぼてだったとしか思えなくなった。

「私ってこんなに何にも考えないで流されて生きてきたのかな」「もっと深く考えなきゃいけなかったんだよな」と、自分の頭では整理できなくなったもやもやがあふれてきてしまった。自分を責める言葉だけがただただ頭に浮かんできて、自分の現状に涙をこぼしながら眠った。この状況から逃げたいと何度も考えてしまっていた。

どうすることもできなかったこの気持ちは、とうとう私の口から漏れ出てきた。両親、高校時代の友人、大学時代の友人、お悩み電話相談、占い師、色々な人に自分の中のもやもやを少しずつ聞いてもらった。みんな優しく、私の話を聞いてくれた。

中には「頑張っていたんだね」という言葉をかけてくれた人もいて、その言葉に涙が出た。今思い返すと、自分を受け入れてほしいという気持ちがあったと思っている。

人に話して整理することで、私は「3つのこと」を決めた!

そうして、私の中にあったもやもやは少しずつ、現状への不満と息苦しさにはっきりと形を変えていった。すぐにでもやめて逃げてしまいたいと思っていた自分を引き留めたのは「逃げたら自分には汚点しか残らない」という自尊心のカケラや、どこにも行き場がないだろうという孤独感など、そういった私の将来の不安と焦りであったようだ。

そして人に話すということは、私に少しの余裕を私に与えてくれた。いつぞや誰かが言っていたラバーダッキングの効果というものはどうやら本当にあるようだ。

自分以外の人に話すことによって、頭の中のもやもやが整理されて、これからを考える隙間が生まれた。そんな中、私の空いた頭の隙間に浮かんだ言葉があった。

友人からの「入社してから3年は頑張るべきっていうのならば、その証拠の統計データでも持って来いよ!っと私は思うよ」という言葉。そして、父からの「仕事を辞めるときに不用意に申し訳ないと思う必要はないと思うよ」という言葉。

また、どこかで見かけた言葉。「人生、好きなことをそればかりずっとやるというわけにはいかない。でも人生短いから、嫌いなことをやり続けるということも違うと思う」

これらの言葉が私の胸にストンと落ちた時、方向転換を示す代案が目の前にひょっこり現れた。そして、その時には自分の中で、3つのことが決まっていた。

それは今の職場で異動を希望しつつ無理なく働くこと、職場にいる間にできるかぎりの資格や勉強をつづけること、そして転職も見通しながら働き続けることである。

これがこのコロナ禍のご時世や自分の能力を考えて決めた結果である。そう決めると、自分のための逃げ場と保険ができたように思えた。しかし残念ではあるが、職場で自分を取り巻く現状は何も変わってはいない。

しかし、自分はまだ20代であり、未来は決まったわけではないとそんな思いで、少しずつ現状を変えていく努力をしようと心に決めた。そうすると、気持ちがちょっぴり楽になった。

一年前の自分が聞いたら驚くと思うが、この会社で何かを成し遂げようとか、技術を磨いて優秀な結果を残そうとか、人に教えることができるくらい自分の仕事に詳しくなろうといった目標を叶えることが私が働く理由ではない。

私が働く理由にはそれはお金を得るため、人並みの生活を送るため、社会人として生きるためという働く理由ももちろんある。

しかしきっと私が今、目の前の真っ暗闇から抜け出すことができたのは「自分があの頃夢見た社会人生活に近づくため」という働く理由ができたからであると思う。自分があの頃求めたワクワクが将来私の手のひらにあることを願い、私は私を奮い立たせたいと思う。