14歳の頃英語の勉強をしていた机 その机で臨んだ英語の会議

2021年。実家のわたしの部屋で机に向かい、英語で進むオンライン会議に参加する。
コロナ禍でリモートワークが当たり前となり、実家に帰ってきて数週間になる。会議後、ふと前に顔を向けると、ずらりと並ぶ英語の参考書と目が合う。その中の一つを取り出しパラパラとめくってみると、すみに小さくぐちゃぐちゃな文字で「できない」と書き殴られていた。
英語ができるようになりたくて、できなくて、悔しくて惨めで泣きながら勉強をしていたのがこの机。その机で英語の会議に参加するようになったなんて、当時のわたしに話しても信じてもらえないだろう。
もちろん嬉しいのだけれど、あの苦しかった気持ちも同時に蘇ってくる。できないことをやり続けるのはとてもつらかった。それでもやり続けたのは、やっと見つけた希望にしがみつきたかったからだった。

希望をくれた先生の一言「英語の発音が綺麗だね」

2006年。わたしは勉強が苦手な中学生だった。
中学に入り勉強が難しくなった頃、恥ずかしいけれどメガネすら買ってもらえないくらい貧しかったので、授業の内容がわからなくなりあっという間に取り戻せなくなった。きちんとノートを取らないわたしを、先生たちは不真面目な生徒だと扱った。成績が悪いわたしを、親は勉強嫌いだと決めつけた。そのうちにわたしも、自分のことをダメなやつだと思うようになった。

中学2年生になったとき、英語の先生が変わった。
産休から帰ってきた、おしゃれで綺麗でキラキラした先生だった。洋楽を聴かせてくれたり、洋画を見せてくれたり、英語の文化にたくさん触れさせてくれた。その影響で読み始めたハリーポッターの世界に憧れ、いつか英語圏に行ってみたいと思うも、ダメなわたしには叶いもしないことだと思った。
その冬、英語の授業中。教科書の英文をひとりずつ先生のところまで行って読むことになった。今思えばあれは先生の計らいで、みんなの前で綺麗な発音をするのを恥ずかしがらないようひとりずつにしたのだろう。何度も先生のお手本を思い出しながら練習して、発表しに行った。
たった一文。時間にして5秒ほど。
聞いた先生はわたしに向かってこう言った。「英語の発音が綺麗だね、将来英語を使う仕事をしたらいいと思う。」

今でもあの瞬間の気持ちをなんて表現したらいいかわからない。先生なんて、親だって、自分ですら、わたしに期待なんかしていない。わたしの将来なんてどうしようもないに決まっている。
そう思っていたのに、たったの5秒で先生はわたしの将来に可能性を見出してくれた。真っ直ぐな目で伝えてくれた先生の顔を今でも覚えている。

英語を使ってバリバリ働く、将来の自分に会いたくて

その日、わたしは帰宅後すぐ1年生の英語の教科書を引っ張り出し、最初からやり直した。
その日から毎日、毎日毎日やり続けた。でも何度やっても間違えて、やりたくてやってることですらうまくいかない自分に腹が立って涙が出る。先生も親も自分も、こんな自分に失望して当たり前だ。もうやめてしまおうか。こんなことが頭の中をぐるぐる駆け回る。
それでも英語を使ってバリバリ働く、将来の自分に会いたかった。

この文章を書きながら気づいたが、わたしが長らく「経済的自立」を人生のテーマにしていたのはこの経験が理由だ。
ただ英語ができるだけじゃなくて、自分でメガネを、買えるようになりたかった。

その後、進んだ高校では3年間英語の成績は5だった。短大の英文科に進み、3年次に4年制大学に編入した後、貯めた貯金でワーキングホリデーに行った。海外に行くのはそれが初めてだった。ある程度英語を話せるようになったので、大学最後の夏休みには、50日間海外を一人旅してみた。
そのときはじめてハリーポッターの舞台であるイギリスに行ったのだが、行くことなんて叶いもしないと思った土地にひとりで来ていることに気づいた。暗い部屋で泣きながら机に向かう自分を、少し救ってあげられた気がした。

社会人になり、3社目で英語公用語企業に入社した。ようやく英語を使ってバリバリ働く自分に会えた。(実際にはゆるっとした服で実家の机に向かっているので想像とはちょっと違う)
参考書に「できない」と書き殴りたくなるくらい頑張ったわたしに、メガネだけじゃなくて、欲しいものはみんな買えているよと伝えたい。
そしてなによりそんなわたしにしてくれた先生に、「先生のおかげで、英語を使って仕事をしてるんです。わたし、そんな自分が好きです。」と伝えたい。