今回もたくさんのご応募ありがとうございました!

2020年8月15日で、戦後75年となることから募集した今回のテーマ。
戦争や平和についてしっかりと勉強されている方が多く、一つ一つ大切に読ませていただきました。

原爆が投下された広島県や長崎県、今も米軍基地問題が残る沖縄県などご出身の投稿者さんも多く、また留学で戦争の悲惨さを実感したという方も。
それらのエッセイを読んでいると、東京出身で留学経験もない私はいかに何も知らないかに気付かされました。(そんなのは言い訳で、私が学ぼうとしてなかっただけなのですが…)
実は、私の曽祖母も原爆で亡くなっています。それなのに私は全然戦争を知らない。そのことを反省すると同時に、もっと学んでいかなくてはと改めて感じました。

それでは、かがみすと賞1本と編集部選3本を発表してきましょう!
どのエッセイも、戦争や平和をより身近に感じられるものばかりなので、ぜひ読んでみてくださいね。

◆かがみすと賞

日常を守りたいから、戦争に反対する。だからわたしはマイクを持った:瑠璃

デモに参加し、スピーチをしたことのある瑠璃さんが、その時の体験を綴ったエッセイ。

デモに参加と聞くとなかなか“過激”な人なのかなと思われがちですが、実体験と自分の言葉や考えに基づいた文章で、とても興味深かったです。

知らない人達の前で、自分の思いを叫ぶ。心臓がどくどく鳴って、泣きそうになった。それでも、わたしは訴えたかった。政府のすることが本当に許せなかった。

これは、瑠璃さんがスピーチをしたときの思いについて書いたもの。
デモに参加している人(ましてやスピーチをしている人)は、参加していない人からすると「自分とは全然違う人間」に映ってしまいがちですが、そんなことはないんだと思わせてくれる文章です。
彼ら彼女らも、自分たちの思いを伝えようと必死で声を上げているんだ、とハッとさせられました。

わたしは、デモに参加すること、ましてやスピーチだって、本当に別に得意じゃない。でも、日常を守りたかった。

誰もが自分の日常を守りたいという思いは持ち合わせているはず。それを自分で守るか、誰かに守ってもらうのかの違いが行動に現れるのかなと考えました。

平和は受け取るものではなくて、作り守るものだと。

最後のこの言葉からも、瑠璃さんの想いの強さを感じました。

◆編集部選

未だお隣の国に残る兵役制度、単なる「通過儀礼」であってほしい:スンア

よく耳にする、韓国の兵役制度について書かれたエッセイ。K-POPが人気な今、戦争に通ずる兵役制度なら考えてみよう、触れてみようと思う人がいるかもしれないと感じました。

そこで出会った一人の大学生に恋をした。(中略)何度か会う機会を重ね、ちょうど3回目のデートで溢れた思いを打ち明けた私に、彼が言った。 「軍隊に行くから、ごめん。」

恋愛に絡めたエッセイの導入部分がとてもよかったです。「兵役制度」と聞くとちょっと身構えてしまうけれど、韓国では日常にありふれたものの一つなのだと気付かされます。

大切な人が戦争に行ってしまう、そしてそのまま、帰ってこないかもしれない。今の私には、いくら想像しても想像しきれないことだ。でもその、<想像できないこと>こそが、きっと今まで、私が平和な時代で守られ育ったことの証なのだと思う。私はただ、これからの私自身にとっても、私の未来の世代にとっても、それが<想像できないこと>のままであってほしいと切に願う。

最後のこの部分には、編集部内からも共感の声が上がりました。想像“する”必要は十二分にあるけれど、想像“できる”必要はないのだなと思います。

戦争を知らないわたしに向けたあの子の目が教えてくれたこと:ひかり

「戦争の時、この坂道で、殺されたフィリピン人の遺体を日本兵が転がしてたのを知ってる?」

フィリピン人の男の子が言った、「知ってる?」という言葉が印象的なエッセイ。
もし私がこの言葉を投げかけられたら、どう答えただろう、と考えながら読みました。

戦時中の行為は私がしたことではないから、私に罪はない。でも、知っているかどうかは、AやBと私の間の友情を続かせる上で大事なことなんだと。

過去の話だから知らなくていい、なんてことは絶対にないのだと改めて思った部分。中国から来た女の子「Aちゃん」やフィリピン人「B」との関わりを元に書かれていて、ひかりさんの言葉にはとても説得力があります。

私だって、日本に原爆を落としたことを知らないアメリカ人に会ったら腹が立つと思う。今も被爆の後遺症で苦しむ人がたくさんいるのを知っているから。

最後に立場を逆転させて考えていて、日本の加害について消化しきれずにいた感情がすっと腹落ちしたような気がしました。

戦争はどこか遠い話のように思ってしまいがち。でも、きちんと今につながっているこれからの未来の話で、とても素敵なエッセイでした。

原爆投下の意味を、戦後75年の国際交流から考える:イチノミヤイチミ

修学旅行で「親日国」にホームステイをしたイチノミヤイチミさん。そこでホストマザーに戦争記念館に連れて行ってもらいます。

日本に原爆が投下されたことを喜ぶ現地の人たちの写真。 両手を上げて、満面の笑みを浮かべる幼い子や大人の写真。 その下の説明には、「我が国を支配してきた日本の原爆投下、敗戦」と書かれていた。

そんな原爆さえ救いの一手と思われてしまうようなことを、この国の人たちにしたのだ、日本は。

この展示について書かれているのが印象的でした。きっと、他にも戦争の悲惨さを表す展示はあったのだと思います。ですが、この“原爆投下を喜ぶ写真”というのがすべてを物語っているように感じて、読みながら苦しくなりました。

そして、記念館を出た後にホストマザーが話した言葉が胸に響きます。

「あなたに親切にするのは、あなたが犯した罪ではないから。この国の人々は、一部の日本人が犯したことへの責任を、全ての日本人に負わせて憎むことはしない。だけど、知っていてほしい。あなたたちの国がしたことを。これは事実で、変えようのないこと。知らないままで素通りにしてほしくないこと。だから今日ここに連れて来たの」

記念館に連れていくことで関係性が悪くなる可能性だってある。そのリスクを背負っても行動するホストマザーの姿勢に背筋が伸びるような思いでした。

広島や長崎の原爆投下や東京大空襲など、教科書で習うのは戦争における日本の被害ばかり。だからこそ、日本の「加害」について自ら学ばなくてはいけないと考えさせられました。

以上、「わたしと戦争」のかがみすと賞、編集部選の発表でした!
現在は国際女性デー特別テーマとして「私が○○を変えるなら」でエッセイを募集しています。
ご投稿、お待ちしております!

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