「またA子ちゃんとシフト一緒だ…」
4年間働いていたアルバイト先のスーパー。1カ月ごとに張り出されるシフト表に、私は一時期頭を悩まされていた。A子ちゃんとシフトが重なるのがとても苦痛だったのだ。
笑顔が素敵なA子ちゃん。第一印象は「職場が明るくなるな」だった
私が働き始めてから4年目の冬に入ってきた女の子、それがA子ちゃんである。モデルと思うほどのスタイルと高身長、なにより笑顔が素敵な人で、私は当初「職場が明るくなるな」とA子ちゃんと共に働くことを喜んでいた。
しかしながら、彼女が働き始めてから1週間で違和感を覚えた。おかしい。A子ちゃんは人との距離感が明らかにおかしいのである。
例えば、私がレジを担当している時も、真横で容赦なく話しかけてくる。品出しをしている時も、私の後ろをぴったりと付いてきて話しかけてくる。かと思えば、そんな態度を他の同僚から注意されると、舌打ちと共に「うるせぇ」と一言。そして、「あいつ死ねばいいと思いませんか?」となぜか私に話を振ってくる。
「職場が明るくなりそう」という私の期待は裏切られ、私はA子ちゃんとの接し方に神経をすり減らすことになった。彼女は人と仲良くしたいのか、嫌われたいのか。私が今まであって人たちの誰にも行動が当てはまらないA子ちゃんに、私はただただ困惑するだけであった。情けないことに。
彼女の華やかさは、自ら受けた傷を隠す包帯だったのだ
ある日、「仕事が終わったらじっくり話そう」と約束を取り付け、A子ちゃんと仕事終わりに立ち話をした。私としては、A子ちゃんがどういう人間なのか少しでも知られたら御の字だったのだが、結果的に「立ち話」は優に2時間を超え、真冬の駐輪場で私はA子ちゃんの話に聞き入っていた。
A子ちゃんの人生は、孤独そのものであった。本人曰く「クソ田舎」の家に生まれ、「出来が悪い子」として幼い時から常にきょうだい達と比べられていたという。父親は気性が激しい人物で、テストの点が悪いと容赦なく暴力を振るっていたらしい。そんな実家から逃れたくて大学進学を機に上京したものの、満員電車に慣れることができず最終的に大学を中退。中退したことは両親に伝えておらず、生活費を稼ぐためバイト先を転々としていると語った。
A子ちゃんの華やかさは、自ら受けた傷を隠す包帯であった。また、「自分に嫌な思いをさせた人には必ず復讐する」「自分のことを受け入れてくれる人が欲しい」という彼女の言葉は、私が「おかしい」と思った行動の数々の理由であった。
当時の私は、教師の道に進むか社会福祉士の道に進むか悩んでいた。どちらも、相手の話を親身になって聴き、問題解決へ導くことが求められる職業。だが、A子ちゃんの話を聴いた時の私の頭の中からそんな考えは吹っ飛び、「この子と一緒に働くことは無理だ」という恐怖にも、絶望にも似た真っ黒な感情が渦巻くだけであった。
人を助けることがいかに難しいか、彼女を通して痛いほど学んだ
A子ちゃんの話を聞いた翌日、私は泣きながら店長に「A子ちゃんと一緒に働けない」ことを伝えた。店長はA子ちゃんが行った数々の問題行動を把握しており、お客様からも「暴言を吐かれた」とクレームが入っていたことを教えてくれた。そして、「私たちの仕事はカウンセリングじゃないからね。A子ちゃんの面倒は見切れないよ」と、諦めたような言葉を残し、店長は電話を切った。
2日後、A子ちゃんはバイト先を去った。当時の社会は、バイトであれ解雇するのは難しいという風潮であったが、「店員にもお客様にも悪態をつく従業員は雇えない」と、経営幹部直々に解雇通知が下ったのだ。そして、「人を助ける職業」に憧れていたのに、当事者を前に震えることしかできなかった私も、A子ちゃんが辞めた数か月後に退職届を提出した。
A子ちゃんと出会うまで、私は「困っている人」というと、弱々しい人を勝手に想像していた。しかしながら、A子ちゃんのように、暴力・暴言で「困っていること」を主張する人もおり、人を助けることがいかに困難か、私は身を以て学んだ。今では、どんな表現であれ「困っている」シグナルを発する人を見落とさないようにと、社会福祉士を目指して勉強を続けている。
A子ちゃんのバイト初日に交換した彼女のLINE。何度も消そうと思ったけれど、いまだに連絡先として残している。いつの日か、社会福祉士の国家試験に合格し、「A子ちゃん、バイトではあなたの力になれなくて本当にごめんなさい。いつでもいいからまた連絡してね。話したいことが沢山あるんだ」とメッセージを送るために。