ヨーグルトの蓋の裏は舐めるか?わたしは舐める。
カットケーキについているフィルムのクリームは舐めるか?わたしは舐める。
そう、つまりわたしはそういう人間だ。

言葉や気持ちは、物よりも長く楽しみ、浸ることができる

自分の好きなものを目の前にして、お行儀よくなんてしていられないのだ。今しかないものを徹底的に楽しむといえば聞こえはいいが、悪くいえば貪欲・欲しがりというところだろうか。
だが比べて、言葉や気持ちなどの形のないものは、そうやって一心不乱にその場で謳歌しようとしなくたっていい。物よりもずっとずっと楽しんで、スマートにほくほくすることができる。そう、形のないものは徹底的に長く楽しんだり、浸ったりするのに最も適しているのだ。

わたしは大学生の時、長く接客のアルバイトをしていた。お店の店長はいつもローテンションで「少ない燃料で走っています」というタイプだった。もちろんそこに嫌な感じはないし、怖いと思ったこともなかった。少ない燃料で走っているとは言えど冗談を言ったり笑いあったりすることはあったからだ。だが、掴みどころのなさというか「もしもし!わたしが掴んでいるところは合っていますか?」という感覚はあった。そして、わたしのことをどう評価しているのかも分からない部分が少し不安だった。

自分の心を満たした、バイト先でもらったある一言

そんなある日、店長と2人で遅番をしているとお店の話になった。
「新しいバイトの子欲しいんだけど、いい子いない?素直ないい子」
と店長に聞かれたわたしは、頭の中で自分の友達をリサーチにかけた。
「んん、そうですね。みんなもうバイトしているからな」
と答えると、
「そうだよね」
と、ため息とともに返ってきた。
「わたしも一緒に働くことになるのだし」と思いながら、
「いい子見つかるといいですよね」
となにげなく返すと、店長は間を置かずにさらりと、
「荒海さんみたいな子がいい」
と言った。
一瞬にして「いい子=わたし」という式が頭の中にはじき出され、わたしの時は止まった。その止まった時の中で、「店長がそんな風に思ってくれていたなんて!」と非常に感激した。

その時のわたしがなんと返したのかとか、その後の展開については全く覚えていない。それだけその場面が衝撃的で感動的だったということだろう。次に憶えているのは、にやにやしながら帰宅して、日記にこの出来事を書き留めたということだ。
当時の日記を見返したところ、「アドレナリンで寝つけない。とんでもなくうれしい。脳内エンドレスリピート。これで一週間生きていける」と記載されていた。ブツ切りの文章が興奮さをダイレクトに物語っている。当時のわたしはこの嬉しかった思い出をずっと忘れないようにと書き留めたのだろう。
だが、実際はこの日記がなくてもわたしは記憶を失わなかったと思う。なぜなら、一週間どころか5年以上も脳内エンドレスリピートをして生きているからだ。

社会的欲求と承認欲求を満たすために

マズローの欲求5段階説の生理的欲求、安全欲求、社会的欲求、承認欲求、自己実現欲求のうち、わたしは店長の言葉で社会的欲求と承認欲求が満たされたのだ。自分を受け入れてくれる場所があるということ、必要としてくれる人がいるということを確認して、心の底から安心したのだ。
わたしはこの欲求5段階を満たしたり満たそうとしないと、人間としてのバランスが崩れる気がする。そして、仕事というのはこの社会的欲求と承認欲求を満たすのに最適な場所だ。だからこうして働いているのだと思う。ただ、その欲求は簡単に満たされるものではないから日々必死に働いている。足りなくなったらこうして過去にもらった言葉を何回も脳内でリピートして気持ちを保っている。
味気ない気もするが、わたしは人間としてのバランスを保つために働いているといってよい。

わたしは今、店長に会っても絶対に褒められた時の話をしたくないなと思う。大事に大事にしてきた宝物を、
「え、俺そんなこと言ったっけ?」
とか、
「あ~、適当に返した気がする」
なんて言われたらたまったものじゃないからだ。そんな真実は要らない。
店長にもらった言葉が自分の欲求を満たすものの一つである限りは、この話は絶対に自分だけの内緒だ、そう決めている。