初めて就いた定職。毎日部屋に籠り、瞼を腫らして泣いた

働くという意味が私には、わからなかった。
家でゴロゴロテレビを見て、好きな友達と電話をして、好きな時に寝て、好きな時に起きる。
お金を稼ぐだけなら、パートなりなんなりで稼げばいい。
社会的責任なんて荷が重すぎるし、そもそもご立派な学歴もない私を誰も雇わないだろう、なんて理由をつけて定職という言葉から逃げていた。

痺れを切らした母に尻を蹴られ、専門知識が必要とされる医療業界に無資格で飛び込んだ。
泣きながら面接の電話をした日のことを、昨日の事のように覚えている。
入社して一日目で、とても後悔した。
冷たい上司に怖い先輩、専門知識と用語が飛び交う日々と誰も教育してくれない手持ち無沙汰な時間、出来のいい同期と比べられ、そして女特有のねちっこい嫌がらせを受けた。

毎日泣いた、これだから働きたくないと、社会が怖いと部屋に閉じ籠り毎日瞼を腫らし、目が溶ける程に泣いた。
朝が来る度に絶望して、怒られる最中に何度も家に帰りたいと心の中で泣くもう一人の自分に寄り添った。

何度も頭を下げる母親と、重度の身体障害を持つ女の子

そんな日々の中、とある患者さんが受診しに来た。
病院のドアを塞ぐような大きな車椅子に身体を預け、天井の一点をぼんやりと見つめていた、その患者さんは7歳の女の子、重度の身体障害者だった。

診療室への移動も一苦労で、車椅子が備品に当たったり、タイヤが壁を擦る度にお母様は何度も何度も小刻みに頭を下げて、此方が聞き飽きる程に「すみません」と申し訳なさそうに謝るのだ。
よく謝る人だな、なんてぼんやりと思いながら作業していた。

診療室の診察台へ移動するのも大変そうで、近付いてお母様と一緒にその子の体を抱き上げた。
子供といえど力の抜けた身体の重さは、こうも重いものなのかと一人内心驚いた。
この重さをお母様は何度も我が子を抱き上げて痛感して、この重さはこれからもどんどんと増えていく。
普通の子と変わらぬように成長するのに、この子の身体は人形のように動くことは無いのかもしれない。

外行きの声を出しながら、お母様にその子の問診についてのカウンセリングを行った。
座っていればいいのに、立ち上がって頭を物凄く下げて縋るような声色で「今日は宜しくお願い致します」と私に言ってきた。
椅子に座って問診の準備をしていた私は慌てて椅子から立ち上がり、頭を下げた。
低姿勢すぎるな、なんて思いつつ話を聞いて先生を診察室へ呼んだ。

「働くこと」に向き合って考えた。私は君の為に何ができるだろうか

ミスをしないように、怒られないようにと意気込んで、それでも身体は強ばり先生の目を見るのが酷く怖かった。
そんな気持ちが先行して、どうせこの子は言葉が分からないだろうと適当に声をかけていたのだが、その子は私に笑ったのだ。
柔らかく、暖かい笑顔だった。
普通の7歳の女の子の笑顔だった。
私は虚をつかれた。

何かをしても、失敗しても、その子は笑ってくれたのだ。
その笑顔を見て、漠然と「この子は大きくなったらどうなるのだろう」と思った。
何度も何度も頭を下げて、縋るような声色でお願いするその子の母親と、大人や世間の悪い事を知らないような、全面的にまるで「お話してもらえて嬉しい」と伝えるような、純粋無垢を体現したような笑顔を浮かべている女の子。
何も成せてない私に笑いかけてくれたこの子を、大人は、世間は、優しく笑ってくれるだろうか。

涙が出た、その時私は初めて働くことの意味を知った。
この子が大人になった時に、今と同じように受診出来るように、私は社会人としての責務を果たさなければ行けない。
働ける私が国に税金を収め、君に優しく笑いかけて手を差し伸べることが出来る、本当の意味での大人や世間になりたいと思った。

君がダメだった私を変えてくれた、君が働くことの意味を教えてくれた。
私は今日も君の為に働くよ、今度は何かを成せる人になる為に。
もう今の仕事に着いて2年になる、今でもちょっと泣くよ、今でも腹だたしいことがある。
その度に私を救ってくれた、君のあの笑顔を思い出す。
君に出会ったあの日あの瞬間、私は朝に絶望することはなくなったよ。