2021年2月7日。私はまた、大きな選択をした。大学院を半年休学することにした。

無事に飛行機が飛べば、週末には日本に帰り、自己隔離生活が始まっていることと思う。本当は休学せずにスイスで頑張って生活したかったけれど、心身ともに疲弊してしまっていたようだ。

少女の頃は神様に「運命の糸」で引っ張られているように選択していた

シェイクスピアが『人生は選択の連続である』という言葉を残したように、振り返ると私もたくさんの選択を行ってきた。一番最初に私の人生を大きく動かしたのは、小学4年生の時だったと思う。

ずっと運動部に入る予定だった当時の私は、急に吹奏楽部に入ることにした。当時夕方に放送されていた、ピアニストの宮川彬良さんと人形がクラシック音楽を演奏する子供向け番組で、クラリネットを吹いている人形が猛烈にクールだったのだ。ピアノは7歳から始めていたけれど、私の音楽人生は確実に、そのとき始まったように思う。

その次の大きな選択は、中学1年生でオーケストラ部に入るとき、オーボエに転向してしまったことだ。当時、自前のクラリネットを所持していたのにも関わらず、あっさり楽器を転向してしまったので、オーボエを持って帰ってきた私を見て、母はかなり驚いていた。

この頃までの選択は、自分の直感だけでしていたように思う。まるで神様に運命の糸で引っ張られているような感覚だった。そして幸いなことにオーボエを始めてから私は、色んなことが思い通りに運ぶようになった。

成長するにつれ難しくなってきたけど、正しい選択をしてきたと思う

けれど、年齢を重ねるにつれてどんどん、選択が難しくなってきた。高校3年生でぶち当たった選択肢は、浪人してもう1年公立大学を目指すか、滑り止めで受かった私立大学に行くかだった。

これは両親の強いプッシュで浪人することになり、無事に志望校に受かることができたが、この選択は今でも大きかったなと思う。どちらを選ぶかで、私は全く違うルートに進んでいただろう。

大学卒業後は、さらに難しくなってきた。人生の見本や学生時代のような明確な区切りがないから、道は自分で作っていくしかない。それはまるで1人で航海に出て、海上で地図とコンパスと睨み合いながら、次はどの島を目指すべきなのか考えているような感覚である。

留学準備のために3ヶ月ドイツに住むことを決めたのも、スイスの大学かドイツの大学か決めたのも、迷っているうちに強風に流されていつの間にか着いてしまっていたような気もするけれど、結果としてどちらも私は正しい選択をしていた。

27歳になる1年の半分休みながら、前向きな選択ができますように…

さて。2021年の8月末まで、私の人生のために何ができるだろうか。自分の限界が未だに把握できていない私は、正直今の精神的な健康状態がどれほどのものなのかわかっていない。

先日電話しながら1時間泣き続けたからだろうか「湖に身投げされたら困るから、とりあえず帰ってきて」と母に言われてしまった。休学届を提出し、携帯を解約したとき、明らかに肩の荷が降りた気がした。

何かの選択肢にぶち当たったとき、どうすればいいのか、何を選択すれば良いのか、一体どれが正解なのか、その答えは少し先の未来にしか存在しない。そして前向きな選択も、後ろ向きな選択もあるかもしれない。

今回の私の選択は、やや後ろ向きな選択かもしれない。半年という長い時間を、一時停止しようとしているからだ。27歳になる1年の半分を休むのは、誰でも焦りを感じるだろう。けれど、それは20代の10年間のうちのたった20分の1。80年の人生だったら160分の1。長いのか短いのか全くわからない。

それに少しだけ前向きでもある。実はヨーロッパにいるのに、コロナ禍の中で私の日本史熱が再発してしまい、今は猛烈に日本史の勉強がしたい。感染対策をしっかり行った上で、趣味の御朱印集めにも行きたいし、全然関係ないけどドラァグクイーンのショーも見に行きたい。

正解でも不正解でもいい。でもこの半年があったおかげで、私の人生が少し豊かになったと言えるように、大切に過ごしていきたい。次に辿り着く島が、実り豊かで美しい島であることを、ただただ祈るばかりである。