私は「泣き虫」と言われてしまうくらい心が弱くて、すぐに泣く子供だった。体を押さえつけられてお医者さんごっこの患者役をやらされたり、友達と思っていた子から手紙で「すぐ泣くみるくちゃんが悪いんだからね!」なんて伝えられたり…。

当時は自覚してなかったけど、立派ないじめである。いじめのターゲットになっているのだから、家で泣くことなんて頻繁にあった。そのたびに母から決まって「泣いても何も解決しないよ!」と言われていた。

全くその通りだ。母は何も間違ったことは言っていない。でも、この言葉が私に呪いをかけてしまった。

大学受験で精神状態が「不安定になった」私は、正直泣いていた

成長とともに泣く行為は、徐々に減っていった。小学校の高学年くらいには、自分をいじめてくる子がいなくなったことが大きな要因かもしれない。それでも、心の弱さは健在だった。叱られている最中は、何度も目から涙が出てきそうになった。

しかし、涙が流れてくるのを、嗚咽が漏れ出てくるのを必死でこらえた。泣くことに意味がないから。いつしか、泣くのを我慢するという行為が当たり前になっていた。

時は流れ、高校3年生。大学受験の真っただ中であった。雰囲気がよくて偏差値が高いという理由だけで選んだ志望校には、学力が全然追い付いていなかった。勉強をやっても上がらない模試の成績に、毎回落胆していた。結局、秋に大学のランクを下げた。それでも合格圏内に入れず、さらに大学のランクを下げていく。目指す大学のモチベーションなんてなくなっていた。

精神状態は不安定になり、正直泣いていた。ただ、泣くなら自分の部屋の中だけで泣こうと決めていた。母にこんな姿を見られたら“あの言葉”を言われてしまうから。

母は、泣いている私の言葉を聞き入れて「見守るだけ」だった

そして1月になり、センター試験本番がやってきた。この日に向けて、勉強はしてきたつもりだったが、結果は惨敗。化学が、からっきし解けなかったのだ。化学系の大学を志望していた身としては大打撃だ。今まで検討してこなかった大学も視野に入れなければならない状態となった。

幸いにも前から検討していた大学の1つが、B判定で引っかかったものの「2次試験は厳しいかもしれない」と担任に言われていた。後期試験覚悟で挑戦するか、安パイに前期試験で確実に合格を勝ち取るか、究極の選択を迫られていた。

この時の自分と言ったら、人生最大に荒れていた。母に何を言われるかなんて考える余裕もなく、大声で泣きじゃくって八つ当たりをした。しかし、“あの言葉”は一言も出てこなかった。母はただただ泣いている私の言葉を聞き入れて、見守るだけだった。

私が幼い頃に母が言った「泣いても何も解決しない」なんて嘘だ!

現在、ありがたいことに私は大学生として、生活をしている。無事に大学に合格することができたのだ。選んだのは、センター後に検討した安パイの大学だ。全体としてみれば、大学受験は失敗だったのかもしれないが、後悔はしていない。だって、あんなに泣いてまで考え抜いて決めたのだもの。思い残すものは、涙と一緒に流れ出てしまっていた。

泣くことは、何の解決にもならないなんて嘘だ。泣いて感情を解放させることで、得られる決意もある。母がかけた呪いは、母の手によって解かれた。さあ、たくさん泣いていこう。輝く人生の選択ができるように。