私は、そもそも結婚式について、否定的な人間だった。
そう、“だった”というのが正しい。結論から言うと、妹の結婚式は本当に良い式だった。この日のためにダイエットをし、完成された妹の美貌。
出席してくれた友人たちの人柄とその人たちに好かれ、信頼されている様子。それを目の当たりにし、感動している両親、祖母の様子。どこを切り取っても幸せが溢れていた。
人と感性のズレた私は「ここが幸せのピークになってしまわないだろうか」とハラハラしたくらいである。
妹の結婚式で「家族ではあるけれど、違う人間」だと感じたこと
何より私が感動したのは、新郎新婦のご友人。類友という言葉は本当にあるのだと、証明してくれるかのごとくみんな素敵な人たちで、私は自分の知らない妹の顔を見て、尊敬したのである。
残念ながら、妹は私の中ではまだチビのまま。しかし、そんな妹が慕われ、祝福されていた。そこには私の知らぬ間に大きくなり、私と遊んでいた頃とは違う、しっかりと他の人の記憶に残り、関わってきた妹の姿があった。
「そうか、家族だけど、ずっと家族ではあるけれど、違う人間なのだ」それを再確認することができた時間だった。
最初は「大丈夫だろうか?」と思っていた妹の旦那様に謝りたい
具体的にまず謝ろうと思うのは、旦那様になる方だ。式が始まるまで、私は正直「この人で…大丈夫なんだろうか」と思っていた。
妹の旦那様は、良い意味でも悪い意味でもマイペースな方に見えた。初めてお会いした時にも色んな意味で、屈託無く私に接してくれた。そんな様子は微笑ましくもあり、反面、心配でもあった。
しかし、この心配もご友人を見て吹き飛んだのだ。何より愛され、全員が口を揃え「誠実な人だ」と紹介される彼は、一番の証拠を式で見せてくれた。隣に座り微笑む妹に「この人で本当によかったんだな」と私は確信した。
お互いが何の曇りもなく、信頼しあっている夫婦を初めて見たと言っても過言ではない。「疑ってごめんなさい」心の中で私は旦那様に平謝りした。
「結婚式も悪くないかもしれない」と思えるようにしてくれた妹へ
そして、何より、妹へ。
私の頭はどうやら思っていた以上に固くなっていたようだった。反省。
「自分が結婚式をやりたいのか?」という疑問は正直拭きれていないが、結婚式というものへの否定的意見を、端から持っていたこと。それを知りながら招待するのも、複雑な気持ちだったと思う。とても素敵な会だったと思うし、二人の心遣いが素敵だった。
私の知らぬ間に私よりずっと大人になり、社会に溶け込んだあなたを見た。知らない人のようだった。でも改めて思った。「おおきくなったなぁ。いつまでも子供扱いしてごめん」と。
「お姉ちゃんしっかりしてよ!」が妹の口癖だった。きっと未だに妹のいうところのしっかりと、私の思うしっかりはかけ離れているのだと思う。そのしっかりにはもしかしたら一生近づけないかも。と自信を無くす結婚式出席だったけれど。
「そうか、結婚式も、悪くないかもしれない」と、人生最後の(予定の)振袖を振り回し、必死に撮った写真を絶賛され調子に乗りながら、そんなことを思った家族の一大イベントだった。