「子どもに何も起きないようにしたら、子どもは何もできないわ」

この言葉はディズニー映画「ファインディング・ニモ」の中で、ドリーというキャラクターが過保護な父親であるマーリンに伝えた言葉である。

マーリンは、息子であるニモに何も悪いことが怒らないように、外に出ることを抑制していた。そんなマーリンに、親友のドリーはこの言葉をかけた。

実際にこの言葉に出会ったのは、知り合いの子どもと遊んでいるときの母との会話の中だった。
私「こんなにかわいいのならケガしないように大事に育てたくなっちゃうな~」
母「そんなことしたら、何にもできない大人になっちゃう!ってドリーが言ってたよ」。

母は子どもを産んだ当初、あれダメ、これダメ、と大切に育ててくれていた。しかし、「ファインディング・ドリー」をみたとき、母である私が何もできない大人に育ててしまっているのかもしれない、と感じたそうだ。

「いいよ」と言われなくてもやりたいことをやっていた幼少期

私は幼いころから好奇心が旺盛で、息を吐くように「やってもいい?」と言っては、「いいよ」と言われなくても始めてしまう、そんな子どもだった。
幼稚園の参観日、工作の時間の「では、始めてください。」は、私にとっての「よーいドンの合図」だった。周りの子たちの作品を見ながら工作をする友達を尻目に、作業を進める私をみて、母は顔を赤らめていたそうだ。

小学生のころには、祖父の家に隠されていた自転車を引っ張り出して、学区内を駆けずり回っていた。怒られることを恐れていたので、もちろん、母には内緒。

つまり、「私はわたしがやりたいことをやるんだ!」と、自己成長している自分に酔っていた。

自分のキャパシティに気づいた中高時代。そんな時でも母は優しかった

中学・高校と上がるにつれて、コミュニティに自我が重なっていくことを感じた。学級委員長や生徒会、部活の部長には率先して手を挙げた。
ここで「やりたがり」にもキャパシティがあることを学んだ。これも、あれも、全部やりたい!と思う学生の私と、「やらなくてはいけないこと」が、毎晩遅くまで戦いを繰り広げていた。そんなわたしをみて母は、早く寝たら?という枕詞つきで温かいお茶を入れてくれた。

もしかして、私が何でもやりたがるせいで、母の睡眠時間を奪っている?「何でもやりたがるからこうなるのよ」と呆れられている?そんな不安がよぎるある日もあった。

大人になって気づいた私が「やりたいこと」をできた理由 

時はたち、成人した私は、歳でいうと大人になった。そんなとき、こんな母との会話から、「私のやりたがった回数」は、母が私に対して目をつぶった回数であるとわかった。

「あなたはこんな子どもだったんだよ」という言葉と共に聞くエピソードは全部、今の私を形作っているものだ。しかし、今の挑戦的な私を作ったのはわたしだけではない。当時はすべて自分の行動!自分!自分!と、挑戦のスタートからゴールを私のみが走っていた。

しかし、そうではない。スタートからゴールまでの道を整備してくれている母がいたのだ。
このやりたがることができる環境を与えられたうえで、自分の成長を感じられる。子どもが子どもとして成長し、与えられた環境に気づく。

そして、これらの経験を自分のものだけではなく、母から与えられたものとして感謝することは、私の母へ愛情を返すことの第一歩である。