自分のルーツ(例えば小さかった頃の事、自分の親が若い頃どうだったのか)を知らないってどう思うだろうか?
私は「知らなくて当たり前」だった。9歳の頃には自分の家族と呼ばれる人たちが離婚や寿命や自殺でいなくなってしまったからだ。
それでも20歳くらいまではそんなもの知らなくていい!今が楽しければいい!と思っている時期があった。しかしあるきっかけからどういう心境の変化かは分からないが、本当に自分の事を知らないまま大人になって、死んでもいいのかな?という想いが芽生え、ルーツについて興味を持ち調べるようになった。
私のルーツが分かり、そして母に謝りたいと思った
実は昨日、遠い親戚と繋がり、メールやZOOMが出来るご時世に文通という古風な方法を駆使して全貌が分かった。そして謝りたいと思った、母に。
今思うと「私は愛されていたのか?」を知ることが怖くて、今までルーツに触れたくなかったのかもしれない。
親戚の話から元々離婚し片親になった母と私は祖父母と暮らしていたが、祖父が心筋梗塞、後を追うように祖母も癌で他界してしまい、立て続けに両親を失い孤立した母は鬱になってしまったらしい。病院への通院履歴があったそうだ。
確かに母はあの時嵐のようだった。何回も自殺未遂をしたこともあった。
覚えていないのか、消えてしまったのか分からないが、当時母は「一緒におじいちゃんおばあちゃんのところに行こう…」と言っていたらしい。つまりうっかりしていたら私はこうしてこのエッセイを書いていることもなかったという事だ。
私は絶対に嫌だ!!!と断固拒否したらしいと手紙には書いてあった。覚えていないけど頑固な私の性格が災いして助かったのかもしれない。
「愛されていなかったかもしれない」なんて考えてごめんなさい
母の立場になって、そんな状況で孤独だったらそれは生きることに後ろ向きなってしまうのは当たり前だ。おまけにあの時私は小学校の授業を飛び出して校庭を走り回る勝手気ままな超問題児だった。元気な母親と子どもなら笑い話だが、母の心労を重ねてしまった可能性は大いにあった。
でも、ひとつだけ、母が最期の時。私は立ち合えていなかったが私の名前をずっと呼んでいたと教えてくれた。
「愛されていなかったかもしれない」なんて考えてごめんなさい。
もちろん推測でしかないのだが、母も自分自身と葛藤していたのだと思う。
両親を亡くししシングルマザーという生きづらい世の中で孤立してしまい、母のケアとなるものがない状況でもずっと頑張っていて、つい辛くて一緒に…なんてことを言ってしまったのだろう。
よく考えたら私は母が荒れた時以外は叩かれたことや怒号を浴びさせられたこともなかった。私のやりたいことをやらせてくれていた。
ママはこんな分かりやすい形にしてたくさん残してくれたのに
ミルクセーキをテレビで見たからといって作ってみたら卵と牛乳がうまく混ざっていない状態で飲ませてごめんね。苦笑いしながら飲んでくれてありがとう。ビーズのネックレス、夏休みの課題研究で作ったよね。不器用で上手にできなかったけれど、あきらめずに教えてくれてありがとう。
私の成長の記録ビデオや、へその緒も残してくれてありがとう。
ずっと私がはまっていたゆび編みでつくった紐のように細いマフラーも捨てずにとっておいてくれてありがとう。
こんな分かりやすい形にしてたくさん残してくれたのに、愛されていたかどうか分からないなんて、怖がってしまって本当にごめんなさい。今も私はママが好きです。20歳の時に飲もうねって言ってた私の生まれ年のワインを一緒に飲みたかったなぁ。
ママの分までいろんな物を見て、感じて、生きようと思います。
だから、見守ってください。