3年くらい前だろうか。

大学生時代。私は何となく有名になりたいという、抽象的で、誰しもが一度は描くであろう願望をもった。
そして当時の私の単純な思考回路が行き着いた先は、「モデルだ。モデルしかない」
これだった。

当時、この思考回路の先を心躍らせながら話すことができたのは、通っていた美容室の美容師さん(以下、Y氏)だった。
その頃の私は、今よりもだいぶと面白みのある人間であった。
まあ、所謂協調性のない変わり者である。
そんな変わり者の昔の私にとって、Y氏は馬が合うほうで、次第に自分のコアな部分を話すことができる存在になった。

熱く語り合った夢、そしてついに私は「モデル」に!

あるとき、Y氏との会話で最近見た映画についての話が盛り上がった。
「ラ・ラ・ランド」
夢持つ自分にとって非常に心地の良い映画。
Y氏にとってもこの映画は心地よいものがあったようで、この映画を軸に熱く互いの夢について語り合った。
私はモデルになりたい。
Y氏はコンテストだか、ヘアショーだか細かいことは忘れてしまったが、そんなことを言っていた。

その後日、Y氏から連絡があり、カットモデルをしてほしいとのことだった。
私は浮かれに浮かれ、快諾した。
初めての撮影は、とてつもなく、ぎこちなく、終わった。
そして同時に自分の中で「モデル」から、「モデル?」になった。

久々のモデル、「是非」と即答したけど本番の日が近づくにつれて

時が経ち社会人になった私は、学生の頃の夢を忘れ、生きるための銭を稼いだ。
仕事の都合で実家を離れたため、Y氏の美容室に通うこともなくなった。
そんなある日、久々にY氏からの連絡。
内容は、ヘアショーのモデルをしてほしいとのことだった。

正直、控えめに言って、めちゃくちゃ心が昂った。
即答で、「是非」と私は答えた。
打ち合わせを何度か行い、詳細が決まっていくにつれ、学生の頃以来もつことのなかった感情を抱いた。
「モデル?」という感情のままでいたことを忘れて。

ヘアショーの本番の日が近づくにつれ、私は浮かれるのかといえばそうではなく、本当に自分でいいのか、という疑問ばかりが浮かんだ。
いつしか、断る理由を探していた。

Y氏からの最終調整の連絡。
私は、仕事という理由をつけて断った。
当たり前ではあるが、Y氏から引き止めにかかる連絡が続いた。が、私には響くことがなく、薄情にも連絡を無視し、連絡が来ないようにした。

夢をかなえたY氏にアップデートされた私が届くこと、それが私の謝罪だ

それから3年ほどたった今、私はこのエッセイを書きながら、当時の自分を振り返っている。
ひたすらに申し訳ない気持ちと、ひたすらに自問自答。

本当に今のままの自分でいいのか。恐れるあまりに、安パイな選択肢を選び、それなりに毎日を生きつないでいてもいいのか。本当に自分の能力を活かしているのか。

…。きりがないのでこのあたりにしておこう。

だが、悶々とした自問自答の中で、輪郭があらわれたことがある。それは初めてカットモデルを依頼されたときに抱いた「モデル?」の感覚について。

あの時(というか今も)私は、他者(Y氏)の表現を有形化するための意味を持つ「モデル」ではなく、自分の感性や感覚、感情までもを駆使し、自分の表現のリミッターを外し、暴走させ、そしてそれを有形化する存在として認められたかったのだ。

ところで、今、Y氏は独立し美容師として活躍されているようだ。
もし何かの機会にY氏に謝ることができるのなら、私はあえて謝らない。そして、この自問自答の日々によってアップデートされていく私が、思い切り自分の人生を謳歌し、結果としてその姿がY氏に届いてほしいと思う。
それが私にとっての「謝る」、「許しを請う」ことだ。

決して負の意味合いが含まれることなく、いつかY氏に謝ることができるように私は、日々、黙々と自問自答を続ける。