家族と過ごす何気ない日々の中で、「幸せだなぁ」とか「愛おしいなぁ」と感じることがある。
たとえば、家族みんなで買い物をしているとき。私の目の前で、旦那と子供達が仲良く会話をしながら手を繋いで歩いている姿を見たときに、私は心から「幸せだなぁ」だと思うのだ。

いつも私に優しい歳上の旦那と、個性が豊かな4人の子供達に囲まれて

歳上の旦那はいつも私に優しい。どれぐらい優しいのかと言うと、旦那は私が「やりたい!」と言ったことを否定せずに必ず応援してくれる。私が「やっぱりライターのお仕事を目指したい」と言ったときも、快く「いいね」と言ってくれた。初めて書いたエッセイが採用されたときは一緒に喜んでくれた。いつでも背中を押してくれることが、とても心強くて嬉しかった。

そして何よりも、旦那は私とのスキンシップも大切にしてくれることがとても嬉しい。私たち夫婦は、家ですれ違うたびにハグをする。それを子供達に見られて「わ~~ママとパパがラブラブだ~!」と言われるのにももう慣れてしまった。最初は恥ずかしかったけれど、なんだか旦那も子供達も嬉しそうに楽しそうにしているから、最近ではこれでいいのかなって思っている。

家族と笑い合っているとき、私はこのために生まれてきたんだなって強く感じる。
4人の子供達は、どの子もそれぞれ個性が豊かだ。
しっかり者だけどおっちょこちょいな所もある長女、のんびりマイペースな次女、気難しいけれどママ大好きな長男、抱っこが大好きな次男。どの子も私たち夫婦にとって大切な子だ。何にも代えがたい宝物だ。

湯船から溢れるお湯は、子供達からもらえる愛情にも似

そんな子供達と、私はほぼ毎日お風呂に入る。4人の子供達、そして私で入るのだからお風呂場が狭い。めちゃくちゃに狭い。3歳の長男がおもちゃを入れると、もっと狭くなる。「狭いねぇ~」と子供達が笑って言いながらみんなでお風呂に入ると、とんでもない量のお湯が湯船から溢れる。それは、子供達からもらえる愛情にも似ているなぁと流れてゆくお湯を見ながらぼんやりと思った。

私はこの時間が大好きだ。ゆっくり...とは言えないけれど、小学生の娘達の話をたくさん聞けるからだ。
たまにそれぞれと入ることもある。そのときは、一緒に湯船に浸かってぎゅーっと子供を抱き締めるようにしている。「大好きだよ」と言うと、どの子も嬉しそうに笑って抱き締め返してくれるのだから、私は本当に幸せ者だと思う。
家庭を持つようになってから、私はその時そのときの『幸せな一瞬の切り取り方』が上手になってきたのかもしれない。

旦那と子供達が手を繋いで歩いていたり、娘達が弟達を可愛がっていたり、逆に弟達がお姉ちゃん達を追いかけていたり...そんな光景を見るだけで、途端に胸が詰まることがある。家族が家族を大切にしていることが嬉しくて、そこには愛しかなくて、涙がこぼれそうになるのだ。

この愛に溢れた時間のなかで、いつまでも生きていたいけれど

もちろん、私たち夫婦だって喧嘩はするし子供達もよく兄弟喧嘩をしている。でも、それさえも過ぎてしまえば大切な家族の思い出の1ページになっている。
いつか年老いた日に、この慌ただしいけれどたくさんの愛情が詰まった家族との日々を懐かしい気持ちで振り返るんだろうな。その時の私にとって、家族との思い出たちがキラキラとした眩しいものになっていますようにと願う。
これから先、どれだけ振り返っても今には戻れないのだ。

だから、私は今、全力で家族を愛してゆきたい。

そして、一瞬の幸せだからこそ絶対に見逃したくないなと思う。忘れたくないなと思う。
最近では、もうすぐ1歳になる末っ子の次男が歩くようになったり感情が豊かになって、次男を囲んで家族で笑い合うことが多くなった。こんなとき、私は「私の命が終わる瞬間、この光景を思い出しながら目を閉じたいなぁ...」とそんなことを考えている。この愛に溢れた時間のなかで、いつまでも生きていたいけれど。残念ながら、その願いは叶わない。だから私は、一瞬の幸せさえも見逃したくないんだ。