社会人1年目、私は半年前まで「先生」と呼ばれていた。小学校の先生だ。
現場にいたのはたった半年、子どもたちと関わった期間はもっと少ない。だから、自分のことを先生だったと言っていいのかも分からない。それでも、このエッセイが小学校の先生に限らず仕事で悩んでいる人に届いたのならば幸いだ。

申し訳なくて、いつも謝っていた

志したのは中学3年生の時。そこから8年間、ずっと先生になるために勉強をしてきた。先生になるためには免許がいるから、大学時代も勉強していた方だと思う。
春、桜の木の下で職員写真を撮った。2020年の春は、誰もが経験したことのないウイルスに怯えていたけれど、その中でも私の心は晴れ晴れとしていた。

「やっと、なりたかった先生になれたんだ」
この高ぶる気持ちが現実とかけ離れすぎていたから、私はダメになってしまった。

新米の先生は私だけ、日々の教室の点検や提出物のチェックに時間をとられ、毎日他の先生に手伝ってもらっていた。担当フロアだけで精一杯で、全体の作業が始まっても私だけ自分の仕事をしていた。申し訳なくて、いつも謝っていた。私はそんな自分が嫌だった。だから、職場のトイレでこっそり泣いていた。
「こんなつもりじゃないのに」

職員室を出た瞬間、私は泣いていた

6月、緊急事態宣言が解除され、また職場の環境が変わった。これまで人数が制限されていた子どもたちが、来れるようになった。
ベテランの先生でも土日に寝込むくらい、忙しかった。私はやっと子どもたちに会えて嬉しい反面、業務量の多さに現実を見た。先生と呼ばれる仕事の多くは人手不足だ。私の勤務先も例外ではなく、誰一人欠けてはいけなかった。

気づけば、帰り道の電車の中で涙が出ていた。周りの視線を感じていても、止まらなかった。電車を降りて、歩けずにホームの隅っこのベンチで泣いていた。
それでも誰一人抜けられない状況だから、次の日も職場に向かっていた。

そんなある日、残業をしていると、「無理しないでいいよ。」と先輩に声を掛けていただいた。でも、そんなの無理だった。無理をしないと私には先生という仕事が務まらなかった。
警備員さんに挨拶をして職員室を出た瞬間、私は泣いていた。その涙は、自分でもセーブできないものだと知っていた。ここでやっと、自分が壊れていることに気づいた。

先生になる夢を追いかけてくれてありがとう

私は、鬱になるまで先生を続け、辞めた。

今は、別の仕事をしている。無理をしなくでもできる仕事だ。だからと言って手を抜いているわけではないし、とても充実している。

先生だった私へ、鬱になるまで我慢して仕事をさせてごめんね。
あなたにとって先生は、なりたかった憧れの仕事だから、理想と現実の違いに苦しめられたね。
無理をしてまで頑張った数ヶ月は無駄じゃなかったよ。でも、「やりたいこと」よりもっと大切なもの、それは「あなた自身の幸せ」。
今の私は先生じゃないけど、今日だって仕事終わりに餃子を作って食べてとっても幸せだよ。ただ、レモンサワーがあれば完璧だったな。
最後に、先生になる夢を追いかけてくれてありがとう。先生は免許を更新すればいつだってなれる。だから、夢の続きは未来の私に任せてほしい。

さあ、次は何を夢見ようかなぁ。